続き

 京都駅6番線に下りた私はそのまましばらく「ML四国」や草津発!6番ホーム発の 「はるか」、「フリッパー君」こと283系と対面する。決してよいデザインとは思わな いが、JR東日本の特急車と比べると特急らしさと言う点では勝っているように感じる のは競争の原理が働いているからか。
 ふと気がつくと新京都駅(烏丸側)駅舎がその威容を見せ始めていた。その幾何学 的なデザインは現代的なデザインではあるが、京都の町並に合うとはとても言い難い。 国際都市?京都の玄関口としては外している様な気がしてならず、これが京都人の望 んだことなのだろうかといぶかしんだ。
 朝食も取りたいこともあって、飛び出し精算も含めて一度改札を出る。ところが、、 駅前の食堂街などの開店時間は8時からとなっていて、どこも開いていない。7時過 ぎのこの時間に朝食が取れなかった。-.-;信じ難いことである。
仕方がないので再び改札内に入り、立ち食いそばでしのぐことにした。メニューにきつ ね(うどん)とそばがある。京都はきつね/たぬき文化圏からすでに外れていること を認識した。汁はしっかり関西のこんぶダシなのだが。。。
 さて、117系の新快速などを見るうち、8時21分、大津側より接近する3条の光、原 色ではない先程まで乗ってきた「きたぐに」と同じ京都所属の583系が入線してくる。 遠路青森からの集約臨時団体列車であった。編成はなんとモハネユニットを増結した 12連で、大阪寄から、
クハネ581-35
モハネ583-78
モハネ582-78
モハネ583-75
モハネ582-75
サロネ581-6
サロ581-103
モハネ583-73
モハネ582-73
モハネ583-74
モハネ582-74
クハネ581-28
の順であった。「きたぐに」と向きが逆なのは、このまま京都運転所に入所する為で、 宮原区から貨物線経由で反転して入所する「きたぐに」と比べ、最初から方転してい るからである。基本はB2で、75番ユニットがB4編成から組み込まれている。撮影する うち、8時28分、583系は京都区に引き上げて行った。
 こちらもあわてて7番線にダッシュ、8時30分発の新快速に飛び乗る。京都区では キハ181とキハ58が2両づつ打ち捨てられた状態で廃車待ちとなっていた。583系の姿 はあまり見えず、検修庫の近くにバラのユニットが1ユニットと、先程のB2とおそら くはバラユニットが抜かれたであろうB4の残りの
クハネ581-22
サロ581-29
サロネ581-4
モハネ582-87
モハネ583-87
クハネ581-37
の姿を見かけただけであった。新潟に行っているのがB6だとして、B1とB3はどこに?
大阪で一度下車し、正式な朝食?と時間調整してマッハ模型に寄るが、買いたいもの は残念ながらなかった。再び駅に戻って新快速で明石へ。
アルナ工機では日比谷線乗り入れ車に似た新形式車の製造中のものが見え、鷹取操では 先週見かけたキハ1802両は廃車になったのかいなくなっていたが、他のキハ58+キハ28 +キロ28とカヤ21の昔からの2両と7連1本が留置されているのを確認した。ほどなく 明石着。全面工事中で狭くなっている階段を通って下り、実家に向かう。
小休止の後長男を連れて再び出発、新大阪から300系の「ひかり248号」(通称?「ひぞ み」に乗って東京へ(100系に乗れなくて長男は不満だった様だ)、乗り換えて211の東 海道で藤沢まで、小田急で帰宅。あわただしい1日は終わった。
                       (1996年10月19日記:たいちょ〜)


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