新幹線の改札を抜け、2番線に「きたぐに」が停まっているのを横目に改札へ。「飛び
出し乗車です。」と申告すると、「この後どうされますか?」まだ改札氏は配属されて
日が浅い様である。
「きたぐにで折り返し大阪向かいますけど」「では着駅で精算してください。」おぃお
ぃ、「それだと新潟へ来た確認できないじゃないですか」「あ、そうか」困ったもので
ある。結局「宮内から精算してください」と言うことで一旦改札を抜け、再び宮内まで
1090円の切符を買って入場、長岡で回れば必要ない出費だったのだが。。。
シュプール色の体を横たえて583系「きたぐに」は出発を待っていた。編成は大阪寄りか
ら
1.クハネ583-28
2.モハネ582-89
3.モハネ583-89
4.モハネ582-66
5.モハネ583-66
6.サロ581-16
7.サロネ581-5
8.モハネ582-102
9.モハネ583-102
10.クハネ581-33
の10連で、1〜4号車が普通車自由席、5号車と8〜10号車がB寝台車、6号車がグリーン車、7号車がA寝台車の急行としては今でなおかつての時代をしのばせる堂々とした内容であ
る。すかさず自分の寝台へ直行、荷物を置いて発車までの残り少ない時間で写真を撮る。
発車時刻ギリギリになって缶飲料を買い込んで飛び乗るとほどなく発車、9号車デッキ
に残って進行左側の車窓に目をこらす。今の時期は集約臨時列車が運転されており、583
系も借り出されてして、1時間ほど前に新潟にも青森の583系が到着している筈だからで
ある。途中検札を受けるが、はたして上沼垂運転所に583系のたたずむ姿が目に留る。
残念ながら手前から3本目なので先頭をチラと見た限りであったが。
設備は一昔前の特急そのものであるが、急行故、新津、加茂、東三条、見附、長岡とこ
まめに停車していく。今の夜行急行には珍しく普通座席車がついていることもあってか、途中駅からの乗車もそこそこある様だ。長岡では14分の大休止、ここでは新潟と逆サイ
ドからの撮影が可能で、ここでもカメラ片手に走り回って撮影する。傍から見ると変な
奴に見えるだろうが。。。^^;
14分の時間ギリギリまで使って列車に戻るとなにやら雰囲気が変である。流れる案内放
送に耳を傾けると、、、
「きたぐに号御利用のお客様にお知らせします。東京の総武線で人身事故がありました
関係で、きたぐに号御乗車のお客様が最終のあさひ339号でこちらに向かわれておりま
す。この関係できたぐに号は待ち合わせを致します。この為当駅発車が23時35分頃にな
る予定です。発車が15分程遅れますが、皆様の御理解とご協力をお願いします。。。」
なんと珍しいこともあるものよ。東京で起きた事故がここにまで波及するとは。さりと
て本当にいつ発車するとも限らないので、(あらかた撮り終えたし)撮影に離れること
は止めてデッキ付近で登場からまもなく30年になろうとする583系の痛みを眺めること
にした。眺めた車はモハネ582/583-102、583系の最終増備車で、昭和47年3月9日に今
の豊川に移った日本車両で落成した583系としては最新の(とは言ってもすでに24年が
経過しているのだが)車である。また、1991年から1993年にかけて向日町(現京都)運
転所所属の60両に対して延命NA工事と呼ばれる車体修繕工事が行われて、一部アコモ改
良が行われている。車体外板も一度塗装を剥離し、腐食の激しい所は張り替えたりして
いて、スポット溶接の所で波打っているとか、そう言ったボロさはないものの、早くも
塗装が一部剥がれたりしていて痛々しかった。修繕されたと言えども、寄る年波には勝
てないことを感じさせた。また、モハネ583-102の妻面には日本国有鉄道の銘板がなぜか
そのまま残されているのだった。
などとつらつらと眺めて感傷に耽っていると、30分過ぎになってバラバラと4名程が乗
り込んだ。「あさひ339号」で乗り継いできた本来の乗客らしい、予想に違わないことを
告げるアナウンスが入ると、やっと「きたぐに」は発車、23時34分、15分の遅れである。
さらに来迎寺、柏崎と停車していくが、私も自分の寝台に戻る。
パン下中段と、九州時代からツウに親しまれた中段であるが、その理由はここだけパン
タグラフがあるため、低屋根となっており、二段寝台になっていることである。低屋根
ではあるが、上段がある場合よりは天井が高いので、高さ方向のクリアランスがピカ一
なのである。実際、着替えなどでも中腰にならずに(上体はかがめるが)着替えが可能
で、狭苦しくない。寝台幅は他と同じ70cmなので、広さでは下段にはかなわないが、1000
円の差をどう考えるか次第である。
かつて上段寝台をロックして「電車二段寝台」として「シャレー軽井沢」が運転され、
一度利用してみたが、上下のクリアランスがあればいいってものではなかった。
ただ、今回は逆に他と違って複雑なリンク式になっている為か、カバーにガタがきて
それが振動でカタカタと音をたてたのには閉口する。とっくに日が変わり、30分もたっ
た頃、直江津に到着。にもかかわらず乗客が乗り込んでくる。その後、真横の騒音にも
めげず就寝。
幾度となく地震に会う夢を見つつ、ふと気がつくとどこかの駅を発車した所だった。
時刻は4時40分を過ぎた頃だった。敦賀の様だ。「銀河」だとA寝台でも駅を発車する
度に起こされた経験しかない、さすが電車寝台、発車停車の衝撃のなさだろう。(地震
の夢を見たのは苦笑いだが)外は雨の様だ。
長浜の手前でデッドセクションを渡り、室内灯が一旦消えて直流区間に入ったことを告
げる。(交流区間にはいる時は寝ていた)米原を過ぎた辺りで起き出し、支度をする。
雨は止んで曇り空になっていた。
さて、
前回も調査した乗車率を今回も行ってみた。(ただし前回は下り列車)
グリーン車(6号車)は17席使用、乗車率35%だった。A寝台(7号車)はなんと1つの
空き(調整用もない)もなく28席全部埋っていた。文句なしの100%である。このような
光景は初めてである。B寝台(5、8〜10号車、10号車は禁煙席)は下段がやはり1
つの空きもなく満席。中段は5号車に4つ空きがあったのみ(93%)、上段はさすがに
空きが多いが、それでも49席中18席(各号車4、3、8、3)が空いていたのみで、乗
車率も63%と半分を超えている。(トータルでは137/159で86%)連休には12連に増結
されることもあり、列車としては(平日の乗車率にもよるが)当分安泰だろう。問題は
近々登場する新型寝台電車で、老朽化の進んだ583系も合わせて置き換えられるのでは
ないか、、、そういう気がする。
長岡以来のおはよう放送が入り、東山トンネルを抜けると今回の下車駅、京都である。
いつしか遅れを取り戻し、定刻到着である。久々にデッキから通路まで並んで下りる風
景に、かつての九州夜行時代の幻影を見た気がした。
(1996年10月18〜19日記:たいちょ〜)