様々な事情で、(事情というのは旅行記に関係ないので割愛するが)2週続けて明石を 往復することになった。先週は時間が優先されたので仕方なく往復新幹線で(しかも往 きは「のぞみ」を使って)すませた。今回は帰りに新幹線を使うことが決まっているの で、往きをなんとかしたいと思った。
「そうだ、【きたぐに】に乗ろう」
最近撮影では583には会っていたものの、久しく西日本の583には乗っていなかった。 久々に1周乗車券で明石を往復することにした。
そうと決まればチケットの手配、金曜夜であることも考えてとりわけ東北/上越系の自 由席を当てにする気はなかった。本来なら長岡乗り換えで(経路外乗車の適応で)乗り 換えるのが筋だが、模型の資料撮影も考えていたので新潟まで飛び出し乗車することに した。今では珍しく「きたぐに」は30分前には入線するのだ。しかし、それには1番の 「あさひ3号」は満席、プッシュホン予約で続行の「あさひ565号」を確保する。
みどりの窓口で本命の「きたぐに」の手配(これがなければ話にならない)、当然パン タ下中段の8号車1,2,11〜14中段を狙う。窓口氏は丁寧にも1つ1つチェックして無事 11番中段を確保してくれた。あと一周乗車券と帰りの新幹線の自由席特急券を購入して 特にトラブルなく手配できた。
さて当日、退社後そのまま東京へ、予想通り自由席待ちで12、13番ホームはごった返し ている。13番ホームには折り返しの「あさひ565号」が入線しており、整備中であった。 200系の8連、日頃東海道の16あるいは12連を見慣れているととても短く感じる。 さて、いつまで経ってもこちらのドアが開かない、とっくに整備は終わった様なのにど うも3号が発車するまで待たせる様だ。はたして3号が発車してまもなくドアが開いて 乗車開始となった。
席は6号車19番A席、19番と思ったら、1番端の席であった。席はほぼ満席、自由席から あふれた客が流れてくる。自由席の両数は5両で差はないのだが、指定席の両数が少な いのは明白である。席があれば埋るのだから、金曜の夜(と言ってもこの列車自体週末 特発臨なのであるが)はもうちょっと集客数を増やす努力をして欲しいものである。
乗り込んだと間もなく発車、じつにあわただしい。すぐさま地下に潜り上野、ここでも 乗り込んで来る。再び地上に出て途中から埼京線と並走しつつ大宮着。ここで降りる人 もいてびっくりである。この列車は臨時のせいかこの後も熊谷、高崎と各駅停車し、新 潟到着までに30分も差をつけられてしまう。高崎を発車した時点で60%ほどの乗車率と なってしまった。こうなると8連なのもしょうがないのかもしれない。
200系は登場当時からの車両で、室内は0系2000番代の設備である。東海道がほとんど100 系や300系になった今、設備の低下は否めない。
あっという間にトンネルで谷川連邦を抜け、すでに新潟県内にはいる。長岡まではノン ストップとなり、やっと「あさひ」の面目を保つ(そうでなかったら「とき」である) 長岡でさらに客が下り、40%を切ってしまった。燕三条でもさらに下りて、東京から2 時間9分で新潟に到着した時には25%あるかないか程にまで乗車率は落ちていた。

新幹線の改札を抜け、2番線に「きたぐに」が停まっているのを横目に改札へ。「飛び 出し乗車です。」と申告すると、「この後どうされますか?」まだ改札氏は配属されて 日が浅い様である。
「きたぐにで折り返し大阪向かいますけど」「では着駅で精算してください。」おぃお ぃ、「それだと新潟へ来た確認できないじゃないですか」「あ、そうか」困ったもので ある。結局「宮内から精算してください」と言うことで一旦改札を抜け、再び宮内まで 1090円の切符を買って入場、長岡で回れば必要ない出費だったのだが。。。
シュプール色の体を横たえて583系「きたぐに」は出発を待っていた。編成は大阪寄りか ら
1.クハネ583-28
2.モハネ582-89
3.モハネ583-89
4.モハネ582-66
5.モハネ583-66
6.サロ581-16
7.サロネ581-5
8.モハネ582-102
9.モハネ583-102
10.クハネ581-33
の10連で、1〜4号車が普通車自由席、5号車と8〜10号車がB寝台車、6号車がグリーン車、7号車がA寝台車の急行としては今でなおかつての時代をしのばせる堂々とした内容であ る。すかさず自分の寝台へ直行、荷物を置いて発車までの残り少ない時間で写真を撮る。 発車時刻ギリギリになって缶飲料を買い込んで飛び乗るとほどなく発車、9号車デッキ に残って進行左側の車窓に目をこらす。今の時期は集約臨時列車が運転されており、583 系も借り出されてして、1時間ほど前に新潟にも青森の583系が到着している筈だからで ある。途中検札を受けるが、はたして上沼垂運転所に583系のたたずむ姿が目に留る。 残念ながら手前から3本目なので先頭をチラと見た限りであったが。
設備は一昔前の特急そのものであるが、急行故、新津、加茂、東三条、見附、長岡とこ まめに停車していく。今の夜行急行には珍しく普通座席車がついていることもあってか、途中駅からの乗車もそこそこある様だ。長岡では14分の大休止、ここでは新潟と逆サイ ドからの撮影が可能で、ここでもカメラ片手に走り回って撮影する。傍から見ると変な 奴に見えるだろうが。。。^^;
14分の時間ギリギリまで使って列車に戻るとなにやら雰囲気が変である。流れる案内放 送に耳を傾けると、、、
「きたぐに号御利用のお客様にお知らせします。東京の総武線で人身事故がありました 関係で、きたぐに号御乗車のお客様が最終のあさひ339号でこちらに向かわれておりま す。この関係できたぐに号は待ち合わせを致します。この為当駅発車が23時35分頃にな る予定です。発車が15分程遅れますが、皆様の御理解とご協力をお願いします。。。」
なんと珍しいこともあるものよ。東京で起きた事故がここにまで波及するとは。さりと て本当にいつ発車するとも限らないので、(あらかた撮り終えたし)撮影に離れること は止めてデッキ付近で登場からまもなく30年になろうとする583系の痛みを眺めること にした。眺めた車はモハネ582/583-102、583系の最終増備車で、昭和47年3月9日に今 の豊川に移った日本車両で落成した583系としては最新の(とは言ってもすでに24年が 経過しているのだが)車である。また、1991年から1993年にかけて向日町(現京都)運 転所所属の60両に対して延命NA工事と呼ばれる車体修繕工事が行われて、一部アコモ改 良が行われている。車体外板も一度塗装を剥離し、腐食の激しい所は張り替えたりして いて、スポット溶接の所で波打っているとか、そう言ったボロさはないものの、早くも 塗装が一部剥がれたりしていて痛々しかった。修繕されたと言えども、寄る年波には勝 てないことを感じさせた。また、モハネ583-102の妻面には日本国有鉄道の銘板がなぜか そのまま残されているのだった。
などとつらつらと眺めて感傷に耽っていると、30分過ぎになってバラバラと4名程が乗 り込んだ。「あさひ339号」で乗り継いできた本来の乗客らしい、予想に違わないことを 告げるアナウンスが入ると、やっと「きたぐに」は発車、23時34分、15分の遅れである。
さらに来迎寺、柏崎と停車していくが、私も自分の寝台に戻る。
パン下中段と、九州時代からツウに親しまれた中段であるが、その理由はここだけパン タグラフがあるため、低屋根となっており、二段寝台になっていることである。低屋根 ではあるが、上段がある場合よりは天井が高いので、高さ方向のクリアランスがピカ一 なのである。実際、着替えなどでも中腰にならずに(上体はかがめるが)着替えが可能 で、狭苦しくない。寝台幅は他と同じ70cmなので、広さでは下段にはかなわないが、1000 円の差をどう考えるか次第である。
かつて上段寝台をロックして「電車二段寝台」として「シャレー軽井沢」が運転され、 一度利用してみたが、上下のクリアランスがあればいいってものではなかった。 ただ、今回は逆に他と違って複雑なリンク式になっている為か、カバーにガタがきて それが振動でカタカタと音をたてたのには閉口する。とっくに日が変わり、30分もたっ た頃、直江津に到着。にもかかわらず乗客が乗り込んでくる。その後、真横の騒音にも めげず就寝。
幾度となく地震に会う夢を見つつ、ふと気がつくとどこかの駅を発車した所だった。 時刻は4時40分を過ぎた頃だった。敦賀の様だ。「銀河」だとA寝台でも駅を発車する 度に起こされた経験しかない、さすが電車寝台、発車停車の衝撃のなさだろう。(地震 の夢を見たのは苦笑いだが)外は雨の様だ。
長浜の手前でデッドセクションを渡り、室内灯が一旦消えて直流区間に入ったことを告 げる。(交流区間にはいる時は寝ていた)米原を過ぎた辺りで起き出し、支度をする。 雨は止んで曇り空になっていた。
さて、 前回も調査した乗車率を今回も行ってみた。(ただし前回は下り列車)
グリーン車(6号車)は17席使用、乗車率35%だった。A寝台(7号車)はなんと1つの 空き(調整用もない)もなく28席全部埋っていた。文句なしの100%である。このような 光景は初めてである。B寝台(5、8〜10号車、10号車は禁煙席)は下段がやはり1 つの空きもなく満席。中段は5号車に4つ空きがあったのみ(93%)、上段はさすがに 空きが多いが、それでも49席中18席(各号車4、3、8、3)が空いていたのみで、乗 車率も63%と半分を超えている。(トータルでは137/159で86%)連休には12連に増結 されることもあり、列車としては(平日の乗車率にもよるが)当分安泰だろう。問題は 近々登場する新型寝台電車で、老朽化の進んだ583系も合わせて置き換えられるのでは ないか、、、そういう気がする。
長岡以来のおはよう放送が入り、東山トンネルを抜けると今回の下車駅、京都である。 いつしか遅れを取り戻し、定刻到着である。久々にデッキから通路まで並んで下りる風 景に、かつての九州夜行時代の幻影を見た気がした。
                     (1996年10月18〜19日記:たいちょ〜)

続く


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