貴志川太郎

〜 南海電鉄貴志川線1201形全車紹介とか 〜


1201-1210 1992.4.6(月) 南海電鉄貴志川線 大池遊園〜山東 大好きな大池遊園の中でも一番好きなトコ♪


新旧並び(2701,1213) 営業運転での競演は2ヶ月なかった… 1995.3.2(木) 南海電鉄 貴志川線 岡崎前


南海電鉄貴志川線(2006年4月からは「わかやま電鉄貴志川線」)で走っていた1201形や思い出を紹介します♪♪
前のハンドルネームが「貴志川太郎」というくらい、南海貴志川線にはハマりまくり、思い出と思い入れがいっぱいです☆☆☆☆☆
本格開業は宇部線旧国ポジ発掘が一段落してからやけど、とりあえず今までの表紙用画像で暫定開業しまっす!!



【南海貴志川線1201形オールキャスト】

 一覧表でご紹介する特徴以外、1201形の共通的な特徴は以下の通りです。
[ ] は第2エンドの画像です。 ☆印は新規追加画像です。
車番画像運転台貫通幌正面裾リベットその他特徴
1201[1]両運転台通常
1202(1)両運転台通常加悦SL広場に現存♪♪
1203
両運転台通常
1204
両運転台通常
1210
貴志側×短スカートグリーンピア南紀に保存されたけど今は不明…
1213
和歌山側×短スカート
1217
和歌山側×短スカート
1218
貴志側×短スカート窓位置低、更にシートピッチ大
1234
貴志側×短スカート窓位置低、更にシートピッチ大
1241
和歌山側×短スカート窓位置低、更にシートピッチ大


こっちは、最終形体以前の画像です。
車番画像最終形体と異なる特徴
1202
前面窓と戸袋窓もノーHゴム♪♪、白熱灯の前照灯♪♪、車番サイド2ヶ所、雨樋縦管なし
1203(1)助士席窓ノーHゴム♪、白熱灯の前照灯♪、車番サイド2ヶ所、雨樋縦管なし
21201(1)1201形じゃないけど、1986年まで一緒にいた仲間♪ 釣り掛けズームの成れの果て…




【惜別1201形外伝】

貴志川線最後の1201形は、一番好きやった1202でした♪♪ もう1両は1210。
画像表紙掲載日
惜別1201形外伝1 1202-1210 1995.4.15(土) 南海電鉄 貴志川線 伊太祁曽支区
 貴志川線最後の編成が同線を離れる日、深夜回送に備え昼間からパンタが上がってました。板をお借りして一人お別れ会を。。
2004.12.13-14
惜別1201形外伝2 2274-2704 と 1210-1202 1995.4.15(土) 南海電鉄 貴志川線 伊太祁曽
 1201形貴志川線最後の日、後輩2270系ともお別れ…
2004.12.15-16
惜別1201形外伝3 1202-1210+DD511191 1995.4.15(土) 阪和線 和歌山
 1201形最後の編成が貴志川線を離れてJR線へ転線し、DD51に牽引され和歌山市へ向かう。
2004.12.17-18
惜別1201形外伝4 DD511191+1210-1202 1995.4.15(土) 南海電鉄 南海線 和歌山市2004.12.19-20
惜別1201形外伝5 珍客達! 1202-1210,DD511191 1995.4.15(土) 南海電鉄 南海線 和歌山市2004.12.23-24
惜別1201形外伝6 1202-1210+1524-1526 1995.4.27(木) 南海電鉄 和歌山港線 和歌山市〜久保町
 水軒への回送のため和歌山検車区から和歌山市駅へ転線。
2004.12.25-27
惜別1201形外伝7 水軒へ! 1526-1524+1210-1202 1995.4.27(木) 南海電鉄 和歌山港線 和歌山市〜久保町 (逆)2004.12.28-29
惜別1201形外伝8 陸送準備 1210車体 奥は1202 1995.4.27(木) 南海電鉄 和歌山港線 水軒2004.12.30-31
惜別1201形外伝9 台車形式写真(笑) 1210の台車 1995.4.27(木) 南海電鉄 和歌山港線 水軒2005. 1. 1- 2
惜別1201形外伝10 台車積込完了! 1210の台車 1995.4.27(木) 南海電鉄 和歌山港線 水軒2005. 1. 3- 4
惜別1201形外伝11 車体も積込! 1210 1995.4.27(木) 南海電鉄 和歌山港線 水軒2005. 1. 5- 6
惜別1201形外伝12(ラスト) 保存の地へ 1210 1995.4.27(木) 南海電鉄 和歌山港線 水軒2005. 1. 7- 9
惜別1201形外伝オマケ 最後の1201形を見送った日の営業編成 1523-3902 1995.4.27(木) 南海電鉄 和歌山港線 和歌山市〜久保町2005. 1. 9-11




【2005大池遊園再訪♪】

画像表紙掲載日
10年振りの貴志川太郎♪(その1) 2703-2273 2005.4.9(土) 南海電鉄 貴志川線 大池遊園〜山東2005. 4.10
10年振りの貴志川太郎♪(その2) 2706-2276 2005.4.9(土) 南海電鉄 貴志川線 大池遊園〜山東2005. 4.11
10年振りの貴志川太郎♪(その3) 2701-2271 2005.4.9(土) 南海電鉄 貴志川線 大池遊園〜山東2005. 4.12
10年振りの貴志川太郎♪(その4) 2703-2273 2005.4.9(土) 南海電鉄 貴志川線 大池遊園〜山東2005. 4.13
10年振りの貴志川太郎♪(その5) 2701-2271 2005.4.9(土) 南海電鉄 貴志川線 大池遊園〜山東2005. 4.14
10年振りの貴志川太郎♪(その6) 2271-2701 2005.4.9(土) 南海電鉄 貴志川線 大池遊園〜山東2005. 4.15
10年振りの貴志川太郎♪(その7) 2275-2705 2005.4.9(土) 南海電鉄 貴志川線 大池遊園〜山東2005. 4.16
10年振りの貴志川太郎♪(その8) 2703-2273 2005.4.9(土) 南海電鉄 貴志川線 大池遊園〜山東2005. 4.17
10年振りの貴志川太郎♪(その9) 2703-2273 2005.4.9(土) 南海電鉄 貴志川線 大池遊園〜山東2005. 4.18
10年振りの貴志川太郎♪(その10) 2706-2276 2005.4.9(土) 南海電鉄 貴志川線 大池遊園〜山東2005. 4.19
10年振りの貴志川太郎♪(その11) 2706-2276 2005.4.9(土) 南海電鉄 貴志川線 大池遊園〜山東2005. 4.20
10年振りの貴志川太郎♪(その12) 2706-2276 2005.4.9(土) 南海電鉄 貴志川線 大池遊園〜山東2005. 4.21
10年振りの貴志川太郎♪(その13) 2705-2275 2005.4.9(土) 南海電鉄 貴志川線 大池遊園〜山東2005. 4.22
10年振りの貴志川太郎♪(その14) 2705-2275 2005.4.9(土) 南海電鉄 貴志川線 大池遊園〜山東2005. 4.23
10年振りの貴志川太郎♪(その15) 2703-2273 2005.4.9(土) 南海電鉄 貴志川線 大池遊園〜山東2005. 4.24
10年振りの貴志川太郎♪(その16) 2705-2275 2005.4.9(土) 南海電鉄 貴志川線 大池遊園〜山東2005. 4.25




【南海での貴志川線最終日】 [06/04/08更新] ☆ 06/04/04開業 ☆


【その他表紙掲載分や新規掲載分】
2006. 4.10-11祝☆和歌山電鐵開業 いちご電車板♪ 2701-2271 2006.4.9(日) 和歌山電鉄 貴志川線 大池遊園〜山東
祝☆和歌山電鐵開業 いちご電車板♪ 2271-2701 2006.4.9(日) 和歌山電鉄 貴志川線 大池遊園〜山東
2006. 4.14-15大池桜2006 2702-2272 2006.4.9(日) 和歌山電鉄 貴志川線 大池遊園〜山東
大池桜2006 2705-2275 2006.4.9(日) 和歌山電鉄 貴志川線 大池遊園〜山東
2006. 4.16-17大池桜2006 2701-2271 2006.4.9(日) 和歌山電鉄 貴志川線 大池遊園〜山東
大池桜2006 2706-2276 2006.4.9(日) 和歌山電鉄 貴志川線 大池遊園〜山東


【思いつくまま思い出を♪】

 ● 第2の青春♪♪
 南海貴志川線は初訪問が最高に思い出深く、忘れもしない1985年11月3日で、当時付き合ってた最高の彼女と一緒に行きました。。 1201形には元々興味はあったけど和歌山は中途半端に遠いし、当時はその彼女とラブラブであんま鉄してなかったから(まっ猿の時期は落ち着いてこの頃は少しは鉄再開していたけど)、なかなか行けずにいました。そんなとき、彼女が和大医学部へ通っている姉に届け物をするということで一緒に和歌山へ(このとき難波→和歌山市で南海初乗車)! 用事はすぐに済んだので、あとは貴志川線に付き合ってもらい、1201形初対面に大感激! 彼女そっちのけで結構マジ鉄してしまった…おおはしゃぎの俺を見て彼女も喜んでくれたけど♪♪

 それから翌年の桜の大池遊園で再訪したあと、その最愛の彼女との破局の危機で鉄どころではなくなり、結局人生最大の辛さ経験したのち、傷心を癒し(最高に辛かったので癒しというか紛らわし程度にしかならなかったけど…)に少し通いました。そして、MG取り付けによるヘッドライトのシールドビーム2灯化&車内蛍光灯化(以前は管球)が増えてきた頃からしばらく足が遠のいてしいました。片運車の幌撤去も痛かったなぁ…

 その後3年ほど通わずにいて、レールマガジンでたまたま写真を見てビックリ! 雨樋縦管が追加され、クモハ42みたいな雰囲気になってるや〜ん!! これを見てからの貴志川復活時も当時同棲していた彼女もとから再出発だったので、感慨深い(こっちは日付まで覚えてないけど…笑)… 1990年11月のことで、翌年、その彼女とも別れてからは貴志川線命と燃えまくりで、阪和暴走族ってくらい阪和線に乗りまくり通いまくりました(今の「阪和線命♪」になるきっかけ)。置き換え間際は毎週どころか週2〜3回ペースで行ってた!! @o@ そや、飯田線へは「ちくま暴走族」やったなぁ…「ちくまの友」!笑

 ってことで、ご無沙汰時期はあったけど貴志川線にはほぼ10年にわたって通ったなぁ☆ 22歳から32歳手前まで通い続け、その貴志川線1201形がいなくなってからもう10年以上かぁ… 『我が青春の飯田線♪♪』に通ったのが1979年8月(高1:16歳)から1984年1月(大2:二十歳)の約4年半やから、飯田線の倍以上の期間通ってんなぁ。。 まっ、飯田線は思春期やったから思い入出密度は濃いけどね♪ 通った期間だけで言うと、1982年2月初訪問で今でも行ってるコトデン(ことでん)が一番長いけど、通い出すまでしばらく間が空いたし、今は通うってほど行かなくなったし…って今のハンドルネームにするぐらいやから燃えてた時期は凄かったけどね♪ いつの日かこんな感じでコトデンもポジポジコンテンツ追加したいけど、ポジ発掘大変すぎる…まっ、ことでんは今のデジをちょこちょこUPするから、発掘は気分次第でっ!
 ● 燃えた両運重連!!
 1201形は10両中8両使用して、2連4本で運用を回していました。基本的には片運同士2本、貴志側両運+和歌山側片運1本、貴志側片運+和歌山側両運1本、両運2両予備という使用形態で、片運車の入場時(1201形は1両単位で入場してました)に片運同士の編成1本のどちらかに両運車が入り、走ってる両運車が1両増えて万々歳ってとこでした。実際、後述の両運重連登場までは、両運重連は試運転で見ただけでした。

 幌付き前パンとなる両運車の貴志側が一番の狙いでしたが、このように通常では1/4の確率、貴志側片運車入場時のみやっと1/2の確率でした。ちなみに、21201がいた頃は、3連が2本いて(11両中10両使用!!)、これが貴志側撮影のメインである午前中は2本とも入ったお陰で(21201じゃない編成はパン下げクハ代用の1201形が貴志側に増結…)、前パン撮るだけでも2連単独が拝める朝か午後無理矢理アングルだけでした… ってことで、21201が落ちたとき、パン側撮りまくれるようなったので喜んだりしてました。^^;

 ところが、1201形終焉の1年くらい前から両運重連がちょこちょこ登場するようになり、そりゃもう狂喜乱舞で、天気と運用に合わせ通いまくりで、結局1201形事態の終焉が近づいたこともあり、この狂喜乱舞体制が最後まで続いたとさ!(笑)

 ちなみに、10両体制後の1201形運用は、2連単位で、朝4本(休日3本)、昼間2本(1本は午後編成交換)、夕方3本でした。
 ● 鉄楽園♪♪
 「1201形はいいけど、形式撮れるいい撮影地がない…」みたいなイメージが当時あったけど、通ってみると1201形だけじゃなく、撮影地も味があって良かったなぁ♪ 確かにほとんど両持ちポールだったので、片持ちだらけでいい足場もいっぱいのことでん長尾線とかに比べたら撮りにくかったけど、その中でいい感じで撮れるポイントはありがたみが増して刺激的☆ 特にそんなポイントが点在し、結構形式走行が撮れる伊太祁曽〜吉礼は大好きで、一番思い入れあり、一番通ったなぁ♪♪ 箱庭的風景が大好きっ(って更に上をいく大池遊園が絶景の極致やったけど、)!! 天気いい日に朝から夕方まで伊太祁曽〜吉礼でのんびりするのは至福のときでした☆☆ 形式重視なので光線がいい秋冬重点的に通ったけど、伊太祁曽駅近くの直線のたんぼでは、レンゲや水鏡と絡めれたんで、季節の写真を求めても通いました♪

 箱庭的風景の極致やった大池遊園は、桜の季節が特に最高☆☆ 昔は動物園(猿山?)があった公園の周りに人造湖(池)が入り組んでいて、まさに日本庭園をデカくした感じ!! そこに桜がたくさん植わっていて、その大池遊園の真ん中を貴志川線が鉄橋2本でつっきているので、んも〜最高のロケーション!! 私が知る限りでは、桜と鉄道の組合せの世界一の撮影地じゃないかと♪♪ ってなことで、1201形引退後、貴志川線とご無沙汰してましたが、ついに抑えきれず10年ぶりに今年の春に行っちゃった〜やっぱ最高でした♪♪ また機会があれば行くじょ〜!!
 ● お立ち台☆
[初代お立ち台♪]

 一番好きだった伊太祁曽〜吉礼の撮影地の中でも、特に和田川ポンプ場(こんな名前やったかな?)は丁度カーブの真ん中にある上、貴志川線撮影に用意したかのようなお立ち台があり、通称「お立ち台」と呼び貴志川線で一番好きなポイントでした。ってポンプ場ができる前はもっと自由にカーブが撮れたと思うけど、俺はポンプ場ができてからの訪問者やし〜見上げポイントやからお立ち台のお陰で煽らず撮れる方が好みやったんで、やっぱポンプ場最高!! おまけに訪問当初、他の区間はほとんどが完全両持ちポールなのに、このカーブだけは1スパンずつ歯抜けの両持ちポール(つまり1スパンずつ片持ちポール♪)で2連は余裕で抜け、もうここしかないって感じでした♪ その後(1990年の再訪直後)、完全両持ちポールにされちゃったけど、角度がいいのとバックの山が好きだったので、2両目はポールにかけ、1両目重視で、パンタ側の代表撮影地と君臨し続けました!! 今は山が切り崩されて道路になってたから、どんな感じのバックになってまうんだか…

[2代目お立ち台(変化するお立ち台)☆]

 上記の初代お立ち台の伊太祁曽寄り、カーブが終わった所の先に小川を渡る小さな鉄橋がありました(って今でもあるけど)。この鉄橋のポール1つだけは、カーブが完全両持ちポール化された後も、片持ちで残ってくれました! 川岸から非パンタ側は綺麗に形式写真が撮れましたが、肝心のパン側は引きがない上、バックがモロ家…パン側狙いの川岸の先は土木工事用土砂や建材置き場で入れる状態じゃありませんでした(てか入っても撮れない状態)。ところが、いつの頃か気が付くと、そこの線路際は土砂だけになり、ありゃこりゃ撮れるんちゃうかなと…小型ユンボで作業されているおじさんがいたので、お願いして撮らせて頂くと、バックの家はウザいものの、形式走行バッチでこりゃええやんと!! 初代お立ち台とは順光時間が異なることもあり、以降、初代お立ち台 ⇒ 2代目お立ち台へと移動するのが定番になりました♪ 工事用土砂置き場なので、高く積み上げてるときはプチ俯瞰ができたりと変化するお立ち台でした! あまりにアホほど行きまくったので、当然社長さん(?)と弟さん(重役さん?)とも顔見知りになり、いつも声をかけて頂きました♪ ビール苦手やけど昼間から頂戴して旨かったなぁ〜♪ 撮影地に向かって歩いていると声をかけらて軽トラで送ってもらったことも♪
 ● 南海の中でも難解駅名多し!
 伊太祁曽(いだきそ)、吉礼(きれ)、山東(さんどう)、竈山(かまやま)、神前(こうざき)、日前宮(にちぜんぐう)と難解電鉄の面目躍如!(笑) でも南海じゃなくなるのよね…
 ● お世話になりました☆
 10両全ての1201形車内には大池遊園の桜と1201形の写真が飾ってありました(運転室側妻面の上部だったかな?)。贈呈した人はいいことしてるなと思いつつも俺にはそこまでできないやろなぁと思ってたけど、貴志川線と1201形への愛着が増すと共に、通っていると声をかけて頂いて顔見知りになる南海電鉄社員の方もいて、自然に写真をお渡しすることができました。貴志川線1201形全車+21201のサービス版写真(鉄道ファン投稿写真とほぼ同じのん!)をパネルに貼り付けたのと、桜の大池遊園六切りを贈呈しました。全車パネルの方は伊太祁曽駅改札奥に今でも飾って頂いていて、今春10年振りに再会して感激しました♪ 六切りの方は伊太祁曽駅前の建物(1201形末期に新築)の集会所かどっかに飾って頂いたそうで、多分そこにあるのかな? もう1枚車庫での新旧並びも四つ切で焼いてパネルに入れたけど、こっちは結局渡せずじまいで自分の部屋に…いつかお渡ししようと思ってるけど南海のうちはもう無理やわ… 全車パネルの方、伊太祁曽駅で1201形さよなら切符を買った人とかが「この写真は売ってないのか」「譲って欲しい」などと駅員さんに問い合わせがあったと当時の区長さんからお話頂き嬉しかったなぁ☆

 当時の貴志川線南海電鉄社員の方々でファンから一番有名だったのは多分、運転士の木原さん(うろ覚えでお名前間違ってたらすいません!!)でしょうね。とても気さくな長身のベテラン運転士さんで私と同じように声をかけて頂いたファンが多かったと思います。沿線でお会いしたファンと「あの運転士さん!」で意気投合することも♪ 私の場合、あほほど通いよくお会いしてので「また来たんか〜」と言われるまでに♪ 車内でお会いすることが多かったけど、ある日、伊太祁曽駅の日頃留置してないV位置に1204いて、曇天で沿線撮影を早く切り上げたこともあり、じっくり撮影しながら、愛しそうに眺めていると、仕事明けか休憩中の木原さんに声をかけて頂き、「そんなに好きならやるからもって帰れ!」「安く売ったるから買えよ!」とかお話して頂いて、土地と輸送費があれば廃車後ホンマに持って帰りたいわと…ってホントに持って帰ってくれた(笑)加悦鉄道さんには感謝感激(いつか1202見に行くぞ〜!!)♪♪、 あと、冬の貴志付近の早朝、スパークの火花が綺麗だと言うお話も印象的でした…結局お話だけで実際には見る機会なかったけど。。ちなみに木原さんは1201形廃車間際にNHKで放送された夕刻のローカルニュース特集にもご出演されてました♪

 あと忘れてはならないのは当時の区長さんで(お名前かすかに覚えてる気がしますが間違ってたら超失礼なので敬称のままで…)、お声をかけて頂きお知り合いになったのは1201形廃車間際でしたが、区長さんのお陰で前述の写真をお渡しすることができ(返礼にラピートカードを頂戴し恐縮)、貴志川線1201形最後の日には臨/回(臨時/回送)板をお貸し頂いて感謝感激でした♪♪ 最初は試運転(試/回)の板をお借りしようと思ってたのが、最終日でもう処分したのか○試板はなく、ちょっと残念と臨/回板をお借りしました。んでも今思えば○臨板なんてそれまで見たこともなく結果オーライでラッキーでした☆☆
 ● W田中☆☆
 貴志川線の駅は、和歌山 田中口 日前宮 神前 竈山 交通センター前 岡崎前 吉礼 伊太祁曽 山東 大池遊園 西山口 甘露寺前 貴志 の14駅(「交通センター前」は1201形引退後の開業)。もち、訪問は全て和歌山からで次の駅は「田中口」。1201形現役当時、貴志川ほどじゃないけどそこそこ通ったのが叡山電鉄のデナ21。この叡山電鉄へは出町柳からアクセスしたけど、次の駅は「元田中」。当時燃えてた二ヶ所の1つ目の駅がどっちも「田中」だったので何か「田中」に縁があるのかなと思ったら、今は田中命♪♪
 ● 駅掌さんと車補(車内補充券)
 当時、無人駅からの乗車は、車掌さんが車補を発券していましたが、旅客の多い伊太祁曽〜和歌山間はもう一人「駅掌」さんが乗務して車補を発券していました。車掌さんが発券する車補は国鉄型を一回り小さくしたような縦長タイプでしたが、駅掌さんが発券する車補は通常乗車券を少し小さくしたような普通の切符タイプと異なっていました。この駅掌さん発券の車補は、当時の叡電も似てるのを使っていたので「ダブル田中」と共に両線の思い出です♪
 ● 貴志駅前のたこ焼き屋さん
 初めて訪問した日に食べて美味しかったよん! んでも食べ過ぎてもて苦しくなった思い出や、沿線撮影中心で貴志駅まであんま行かなかったので、以降食べた記憶がないなぁ…あ〜今もあるのかなぁ。。  ● 鉄誌デビュー♪
 鉄誌(鉄道ファン)へ投稿デビューしたのも貴志川線が絡んでます♪ 1201形の末期、鉄道雑誌には1201形関連記事が少しはあったものの誤ったものもあったりして、1201形終焉をまとめようと思い立ったのがデビューのきっかけ! 初挑戦で見事ボツらずデビューできたのは嬉しかったけど、2連でいいアングルを送った写真が1両にトリミングされててあぜ〜ん!!(笑) 写真も送り過ぎて、自信あるカットに限ってカット…あはは。 いつかココで完全版を再現します☆☆ どっかのサイトでオラの記事の抜粋があったよん!!

 鉄道ファン No.412 1995. 8月号 106,107ページ:「南海貴志川線1201形と2270形の投入」REPORT
 ● 食糧事情?
 貴志川線1201形を含め、コトデン長尾線で旧形車が走り回ってた頃までは、撮影に忙しくて昼食休憩する暇ないため、昼食持参で撮影の合間に食べてました。たいてい近所のコンビニで買って持って行くパターンでした(泊まりのときは宿を出るときや前夜買出し)。わざわざ荷物が増えて今ではやらなくなったけど、若かったから腹減るとパワーでないし、途中入手できないと困るしってことで! まっ元々凄い荷物やったから少しくらい増えても平気でした。 飯田線や宇部線通ってた頃は、コンビニなんてないし、お金もなかったんで、旅行日数分のフランスパンと肉系缶詰をリュックに詰め込み、1本のフランスパンで、朝昼はジャムをぬって1/4ずつ(そのままのときが多かったかな?)、夜は豪華に缶詰と残り1/2を食すってことをやってました!(すげぇ〜) これをやると荷物が凄いことになり、わざわざこのために大型リュックを投入し…う〜ん今思うと凄いことやってた…荷物の量も凄いがセコさも凄い!!まっ日程消化と共に荷物の量が減ってくって楽しみはあったけど…M的やぁ…笑 流石に長期滞在時はキツくなるから何日かに1回はご褒美で夜はB級グルメ店へ(駒ヶ根なら学生カレー♪⇒これも連荘は飽きるんで近くの定食屋さんを開発)!!

 今は寂しいけど昼間ずっと撮り続けというターゲットはほぼ存在しいなし、昼は食べれなくてもいいやんってのもあり、行当りばったっりやから当時のスタイルが懐かしい。今は休憩やB級グルメの店探すの楽しいし♪
 ● 貴志川友の会
 長尾クラブの前身なんですわ〜♪ って、今の長尾クラブも実体ない名前だけの怪しいおっさんの集まりやけど(をっと、一部怪しい若人もいるけど)、さらに貴志川友の会は、貴志川太郎,のび太くん(仮称:現長尾クラブのN隊員),でっしゃろまっしゃろ(まんま),Qの先輩(仮称)と4人だけやったけどね! 現地で度々会えて友達になり楽しかったなぁ♪♪
[メモ]
 阪神大震災後、会社から、北近畿、関西線快速色撮っておけばと…その後の3色とかも…後に訓練用ブルーライナー⇒広島
 山中渓から紀伊の眺め

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