広ウヘの旧形国電

〜 宇部電車区の旧形国電全車紹介(105系投入直前時)


クハ55111 1980.9.22(月) 宇部線 小郡

 1981年(昭和56年)3月105系化直前の宇部線・小野田線の旧国(旧形国電)を紹介します(宇部電車区の旧形国電写真館になる予定… ^o^)/)。105系化後も本山支線用にクモハ42が3両生き残りましたが(現在は皆さんご存知のように本山線からも引退し、クモハ42001が広セキに保管されるのみ)、宇部電車区(広ウヘ)の旧国のほとんどは一気に淘汰されてしまいました。そしてそのあと、宇部電車区(広ウヘ)も廃区され今はなく…

 一覧表でご紹介する特徴以外、広ウヘ旧国の共通的な特徴は以下の通りです。
[ ] は第2エンドの画像です。 ☆印は新規追加画像です。 両運車の幌枠は第1エンドのもの。
車番画像前面パンタ側扉運転席窓助士席窓戸袋窓幌枠運用番号窓額通風器通風孔連結器座席その他特徴
クモハ42001(1) [1]平妻木枠木枠木枠×3桁クロス第2エンド幌付、第2エンド貫通扉上部肌色
クモハ42005(1) (2) [1]平妻木枠木枠木枠3桁クロス第2エンド幌付
クモハ42006(1) (2) [1]平妻木枠木枠木枠3桁クロス第2エンド幌付
クモハ40023(1) (2) [1]平妻木枠木枠木枠3桁ロング
クモハ40067(1) [1]半流木枠木枠木枠3桁ロング第2エンド幌付
クモハ41019(1)半流木枠木枠木枠3桁ロング
クモハ41022(1)半流Hゴム木枠木枠3桁ロング外ちあきなおみ
クモハ41024(1)半流木枠木枠木枠3桁ロング
クモハ41026(1)半流木枠木枠木枠3桁ロング
クモハ41031(1)半流木枠木枠木枠3桁ロング
クモハ41042(1)半流木枠木枠木枠3桁ロング
クモハ41046(1) (2)半流木枠木枠木枠3桁ロングノーリベット
クモハ41050(1) (2)半流木枠木枠木枠3桁ロングノーリベット
クモハ41051(1) (2)半流木枠木枠木枠3桁ロングノーリベット
クモハ41052(1) (2)半流木枠木枠木枠3桁ロングノーリベット
クモハ41082☆(1) (2) (3)平妻木枠木枠木枠×ロング元モハ40035、方向転換車
クモハ41083(1)平妻Hゴム木枠木枠××ロング元モハ40036、方向転換車
クモハ41084(1) (2)平妻Hゴム木枠木枠×ロング元モハ40037、方向転換車
クモハ41126(1) (2)半流HゴムHゴム木枠Hゴム3桁×ロング元モハ40079、ちあきなおみ、連結面切妻、方向転換車
クモハ51031(1) (2)半流木枠木枠木枠2桁セミクロス
クモハ51036(1)半流木枠木枠木枠×2桁セミクロス方向転換車
クモハ51040(1)半流Hゴム木枠木枠2桁セミクロス方向転換車
クモハ51041(1)半流木枠木枠Hゴム×2桁セミクロス
クハ55009(1) (2)平妻木枠木枠木枠3桁ロング
クハ55022(1) (2)平妻木枠木枠木枠3桁ロング
クハ55036(1) (2)半流木枠木枠木枠3桁ロング
クハ55046(1) (2)半流木枠木枠木枠3桁ロング埋込みライト
クハ55052(1) (2)半流木枠木枠木枠3桁ロング
クハ55053(1) (2)半流木枠木枠木枠3桁ロング埋込みライト
クハ55056(1) (2)半流木枠木枠木枠3桁ロング埋込みライト
クハ55073(1) (2)半流木枠木枠木枠3桁ロングノーシル・ノーヘッダ
クハ55081(1)半流Hゴム木枠Hゴム3桁ロングノーリベット、ちあきなおみ
クハ55090(1)半流木枠木枠木枠3桁ロングノーリベット、乗務員扉上もヘッダ
クハ55094(1)半流木枠木枠木枠3桁ロングノーリベット
クハ55111(1) (2)平妻HゴムHゴムHゴム×Hゴム3桁ロング元クロハ59018、ちあきなおみ
クハ55113(1)平妻HゴムHゴム木枠×Hゴム3桁ロング元クロハ59020、ちあきなおみ
クハ55320(1)平妻Hゴム木枠木枠Hゴム3桁ロング元サハ57013、ノーシル・ノーヘッダ
クハ55324(1)平妻Hゴム木枠木枠Hゴム3桁ロング元サハ57017、ノーシル・ノーヘッダ
クハ55328(1)平妻Hゴム木枠木枠Hゴム3桁ロング元サハ57020、ノーシル・ノーヘッダ
クハ55340(1)平妻Hゴム木枠木枠Hゴム3桁ロング元サハ57007
クモハ12027(1) [1]平妻木枠木枠木枠3桁ロング第1エンド非貫通、第2エンド幌付雨樋直線
おまけ(過去の所属車)
クハ16428(1)平妻木枠木枠木枠3桁ロング写真は水臨での留置で後ろはクハ16418 



【思いつくまま…】  [05/11/28が最新]

 ● 牽引車代用のクモハ12027って?
 ふぉっふぉっふぉ、今のクモヤ145の用途に使ってたんですわ〜! 今電車区にいるクモヤ145は構内入れ換えと救援待機が主な仕事やけど、クモハ12027は営業車の幡生工場入出場時のお供がメインの仕事でした。構内入れ換えもしてたやろうけど、パン下げて宇部電車区か宇部新川の隅に寝てたのしか見たことおまへん。まっMT編成を頻繁に入れ換えてなかったし、構内には他に両運Mcもいたし、別にMT編成で入れ替えしてもいいし(雑誌で見た配給貨車もMT編成が牽引してた)、コトデンのデカ1的要因がメインで残ってたのとちゃうみたい!

 ってことで、20m車が揃い、営業運転から引退した後も幡生屋さんとして、クモハ42以外の旧国引退と運命を共にするまで生き残りました。宇部線・小野田線と同じように可部線や福塩線で社形国電を置き換えた17m国電は全て消え去った後だったんで、西日本で残った最後の17m国電(事業用車は関西にもいたけど)でしたわぁ〜。

 当時の牽引車と言えば、クモヤ90やクモヤ22などでしたが、現在のように全ての電車区に専用牽引車が行き渡っていた訳ではなく、このクモハ12027と同じように、府中電車区や淀川電車区のクモハ32(なお高槻電車区にいたのは職員輸送用)、明石電車区や品川電車区のクモハ73(南シナのはマヤ検用)、鳳電車区や静岡運転所のクモハ60(天オトのは一瞬でクモヤ90により引退、静シスにはクモハ12も)、岡山電車区のクモユニ81、大垣電車区や神領電車区のクモハ40(なお国府津電車区にいたのは職員輸送用)、沼津機関区のクモハ12(なお中原電車区には営業車と別に職員輸送用もいた)、陸前原ノ町電車区のクモニ13などが、第一線から退いた後も裏方で頑張ってました。あ〜懐かしいや〜!! なお、北松本運転支区と富山機関区のクモハ40は予備車と牽引車を兼ねたような存在でした(静ママのクモハ61もちょっとそんな感じ)。
 ● 痛かったクモハ42001…
 ご存知現存するスーパースター、クモハ42001ですが、当時はババでした… 宇部線運用の中でも両運車のパンタ側が先頭に立つ cMc + Mc - Tc の3連は最高やったけど、こいつが先頭だとため息橋… というのも、パンタ側前面の幌枠が撤去され間抜け顔に萎え萎えで… 40形と異なり幌取り付けが基本になってる42形や51形は、シルとヘッダが貫通扉までなく幌取り付け部分までなので、幌枠取っちゃうと何じゃこりゃ〜で… 同僚のクモハ42005とクモハ42006が引き締まった顔をしたから更に間抜け面が引き立っちゃて… だからクモハ42001じゃなくてクモハ42006を残して欲しかったんやけどね… って、幌枠や幌は後で取り付けられるから、今となれば、「頑張れ〜クモハ42001!!」やけどねっ♪

 同じように飯田線のクモハ50008とクハ47104がこのお間抜けちゃんやったけど、塗装でごまかしてたので、クモハ42001ほどは目立たなかった。いや正確に言えばお間抜け塗装の方が目立ってた…笑。

 このようにメインのパンタ側面は散々やったけど、非パンタ側は貫通扉が肌色と唯一の変則塗装だったので、第2エンドはピカイチ! んでも、撮るのはパンタ側がメインやし、当時の運用では第2エンドが出るのは本山線だけだったので、真剣に撮ることはなかったけどね… というより、運用数・編成バラエティー・ロケーション全て宇部線が良かったし、本山線に行っちゃうと撮影効率が悪くなったのよねぇ… だから、あんま解ってなかった訪問当初は雀田駅に行ったけど、慣れてきてからはほとんど行ってないないかな…
 ● クモハ42のその後 【05/11/01追加】
 クモハ42以外の旧国引退以降、まだクモハ42が3両とも残っている時期にマヤ検とイベント運転で2回行っただけで、その後の経緯はうろ覚えやけど、参考までに覚えてる範囲でその後を。

 3両とも第2エンドの幌撤去、ワンマン化と小変化の後、クモハ42005とクモハ42006の第1エンドに幌が取り付けられたようです(イベント運転時の貫通用)。

 宇部電車区の廃止(広セキへの移管)でクモハ42005が運命を共にし、宇部電車区において、解体イベントが催され華々しい(?)最後となったようです(このときも先にクモハ42001が消えろと願ったけど…)。実際の廃車はこの解体プレイの少し前で、部品確保で残っていたようです。

 その後しばらくは2両体制で本山線運用に就き、前面黄色警戒色撤去、足回り一部機器の防護鉄板(網状)取り付け、PS16パンタ化、クモハ42006の第1エンド幌再度撤去など、小改造が行われたようです。あ〜PS16化後でも良かったからクモハ42006幌付パン側を実際に見たかったなぁ…本線走行(幡生回送)と兼ねて計画はしたけど結局重い腰上がらず(広島へのイベント走行とかもあったのに)…その後クモハ42006幌が撤去され二の足踏んでいたら廃車されちゃった…もちババだけになったからはイク気うせたけど(笑)…でもクモハ123はイクじょ〜!!

 クモハ42001一人旅になる直前、実はクモハ42001自身が不調やったみたいやけど、あろうことかクモハ42006が部品確保のため廃車に…このときは、心の中で呪詛調伏「クモハ42001を廃止にしろ〜!」と願うも空しくあっさり粛々と大好きだったクモハ42006が大往生…号泣。不細工クモハ42001やけど、機器の一部にクモハ42006やクモハ42005の魂が生き残ってるんやろな…。それからは、最初に書いた通り、残ったクモハ42001も本山線から去り、幡生でおねんね。幌復活してイベント走行ってことはないと思うので個人的には早くちゃんとしたとこで保存した方がいいと重いマンモス。
 ● 美人が多かった?
 クモハのPS13化は残念やったけど、前面はノーHゴム木枠窓が多く残り、美人揃いでしたわ〜♪ 広ウヘは20m車化が早かったのと関東車が多く流れてきたため、大鉄局(天鉄局)で旧国末期に実施した前面窓Hゴム改造の車があまり流れてきませんでした。これに比べて、広ウヘにもいたクモハ51が走っていた宇野線・赤穂線や福塩線などでは廃車時期が早かったにも関わらず、Hゴムだらけだったようで…。

 ノーHゴムと共に全車の前面ステップがテールライト上にあったね! 静鉄局のがテールライト下位置に改造してたからこれも美人の秘訣!(笑)

 にしても、茶色に白Hゴムは目立ってたなぁ…本場関西では営業車引退後も事業用車でしばらく見られました…現在この雰囲気を神鉄鈴蘭台車庫にいる「ヤツ」が彷彿させてくれます!笑 話の脱線ついでに当時のEF58も関西車(宮原と米原)は白Hゴム改造やったね。同じHゴムでも東(浜松、高崎、東京、宇都宮)のは黒。電車は東西問わず一部黒を除きほとんど白。JR化後、改造は全て黒やけどね。

 早く潰すなら改造せんでええのにと思う関西独特のHゴム改造ラッシュでした(必殺吹工実施!)。何か今の103系や113系の銀縁改造と繋がるような… 関西の現場は整形が好きなのか…笑。

 ちなみに旧国最後の楽園やった静ママは、末期まで木枠で残ったのが浜工でHゴム改造されちゃったけど(運転士側窓のみ)、こっちは長生きしてくれたから、まっ仕方ないかな。
 ● クモハ51 【05/11/17追加】
 当時の旧国4大路線のうち宇部線・小野田線のみロングシートがメインやったけど(大糸線もロングが多かったけど半々程度でメインやなかった)、その中でクモハ42とクモハ51が少数派で頑張ってました! 特にクモハ51は通常のMT運用に組み込まれていたので編成中で異彩を放ってました。って、見た目は大きく変わるわけじゃなく乗った目ね! ガキの頃、72形中心の東海道山陽緩行線の普通編成中にクモハ51やモハ70のセミクロスが入ってて「何じゃこれ〜!」ってのを思い出したりしてました♪ 今で言うと103系編成に113系が入ってるようなもんですわぁ〜!! って、これも古いから、321系編成に223系やね!笑

 その4両だけ残ってたクモハ51やけど、幌枠撤去やら、Hゴム化で、綺麗な顔はクモハ51031だけでした。今になって整理して気付いたんやけど(もっといたと思ってた…あれま)、綺麗な順光で撮ったのなく、それ以前にあまり撮ってない状態やった(もっと撮ってたと思ってた…ガクッ)… アフターフェスティバルやけど、もっと優先度上げて狙う対象やったなぁ… もう1両の片運Mcのスター、クモハ41082は気付いてたから(って見た目ですぐ判るっ中年!!)、こっちはそこそこ抑えてたのに… まっ、一番Vな両運車(クモハ42001除く!笑)や、同形式なのに個性豊かなクハ55に目を奪われてたからなぁ…クモハ51自体は他3線にもいたし…

 にしても、クモハ42001同様の不細工ちゃんが2両もいたなんて… ってことでクモハの不細工3兄弟は、長男:クモハ42001、次男:クモハ51036、三男:クモハ51041で決定やわ… 前述の通り不細工ちゃんは当時の他線では飯田線にいたけど、51形は記憶ないから、多分隠れた宇部線名物やってんなぁ…
 ● ちあきなおみ 【05/10/29追加】
 Hゴムと共に必殺吹工実施の運転席窓下通風器のこと。運転席窓の左下や右下(こっちを「外ちあきなおみ」)にホクロのようなポッチリが付いてるので、コトキチ的通称でこう呼んでま。
 ● 足元涼し〜い!! コトデン型?通風孔(広鉄式通風孔) 【05/11/12追加】
 前面の運転席側テールライト近くに小さな長方形があるのがいたりしますが、これは開閉式の通風孔なんです。ことでんの旧形にもあったりする♪♪ 広鉄の旧国に見られた特徴で幡生オリジナルかな!?
 ● 埋め込みライトの形状 【05/11/12追加】
 クハ55の中に3両いた優美なヘッドライトの埋め込み車ですが、クハ55053 のみ、ヘッドライト後部が曲線的でした。
 他の2両は、屋根最高部近くまで直線的で最後にちょこっと曲線的に落ち込むって感じでした(う〜ん言葉で説明すると表現ムズい!!)。
 ● エアフォース・ワン!! 【05/11/02追加】
 重箱の隅的オタッキー情報をば!(笑) 本山線用に生き残っていたクモハ42にはしばらく黄色警戒色が残ってたけど、他の旧国共存時と見分けることができました! 第2エンドは幌撤去ですぐに判ったけど、第1エンドの違いがなかなか細かい話なんですぅ〜! あっ、黄色警戒色の末期に005と006の第1エンドに幌が取り付けられたことあるけど、それ以前にも3両とも以前と決定的な細かい違いがありました。それは、ジャンパとエアホースを外して運用してたんです。細かい違いですが写真を確認したら一目瞭然です。

 ↑の一覧表中 クモハ51036 画像に、幡生入場を載せてますが(ちなみに一番後ろは控え車のクモハ12027)、この回送時もジャンパとエアホースを外してました。
 ● 当時の編成 (←小郡) 【05/11/03追加】
 宇部線は「Mc - Tc + Mc - Tc」の4連、「cMc + Mc - Tc」の3連、「Mc - Tc」の2連で、早朝深夜と真昼の2連以外は4連が多かったです(九州から乗り入る交直流近郊型電車も4連)。3連は朝夕異なる編成が1本ずつ4連に混ざって走ってました。休日は一部4連が2連になる程度で、当時は土曜も平日運用(ええ時代やったなぁ)。なお、宇部線の4連は朝は厚狭まで1往復、夜は下関まで1往復する直通運用がありました。

 小野田線は本山線回送を兼ねた宇部新川〜長門本山直通と本山線内運用が「cMc」の単行だったのと、朝1.5往復(この回送となる最終小野田行も)が「cMc + Mc - Tc」の3連だった以外、全て「Mc - Tc」の2連でした。

 「cMc」はクモハ42またはクモハ40、「Mc」はクモハ41またはクモハ51、「Tc」はクハ55となりますが、「Mc」にクモハ42またはクモハ40が稀に入りました。そのため、既述の通り第2エンドに幌が残っていました(よって幌のないクモハ40023 はこの「Mc」代用には入らなかったはずです)。

 ってことで、当時は両運車が4運用もありながらが、「cMc + cMc」の重連はありませんでした。今の宇部線にはクモハ123重連があるのから楽しみで楽しみで♪♪
 ● 宇部電車区(広ウヘ)ってどこやねん! 【05/10/28追加】
 旧淀川電車区みたいな感じですわぁ〜!って余計解らんか…笑。今の宇部線・小野田線の電車は下関(広セキ)所属やけど、以前は宇部線内にある宇部電車区所属でした。線内と言っても実は営業路線からは離れた所にありました(実際に訪れるまでは宇部新川の近くにあると思ってた)。場所は居能駅の西で住宅地をしばらくくねくね歩かなければたどり着きませんでした。

 じゃあ何でそんなトコに電車区がというと、それは国鉄宇部線・小野田線の誕生に起因します。開業時に国有地の提供を受たので、わざわざ専用線を作り離れた場所を車庫にしました〜ってのは大嘘で、元々そこに路線と駅(藤曲)があったそうな! これは支線があったのではなく、元々藤曲駅に宇部線が通ってたんですが、バラバラだった旧私鉄(宇部鉄道・宇部電鉄・小野田鉄道)の路線を繋げる際に宇部線が居能側へシフトし、車庫だけ取り残されたという訳です(今はもう広ウヘの跡形もないのかな?)。古い地図を見たとき、広ウヘのとこに藤曲と書いてたので、直通開業後も支線として営業車が走ったことがあるのかも… ちなみに、訪問当時の広ウヘ構内にはホーム跡が残っていました!
 ● 幻のキクハ 【05/11/19追加】
 一覧表の最後におまけで紹介したクハ16428とクハ16418は宇部線引退後、水臨(水島臨海鉄道)へ譲渡されキクハとして再起する予定でしたが、実現せず放置プレイののち解体されました。

 当時は国鉄からのキハ大量廃車があり、水臨もキハ10、キハ20と購入していったので(現在はキハ20がキハ200形として4両残るのみで、他は自社発注車)、電車(しかも旧国)をわざわざ改造して投入する必要がなくなりました。まっ、当時はラッシュ時対応に旧客をキサハに使ってたので、それよりは運転台がある方がいいやん!ってことで買ってはみたけど、改造に取り掛かる前にキハ自体が手に入るやん!こっちにしてまえ〜!ってことになったのかな。。

 んじゃ何でわざわざ買ってん!(無償譲渡?)ってことになるけど、野上電鉄で水間鉄道500形(元南海1201形)を購入したけどやっぱ使えなかったとか、地方私鉄じゃよくやる「やってもたぁ〜!」なのかな…笑。野上と言えば、PC架線柱を現地に準備しておきながら結局置き換えないとか色々やってたね…苦笑。にしても、宇部線でとっくに引退したクハ16が中学生当時の活動圏やった岡山でゲットできたのは超ラッキーやったなぁ♪ って、当時の貴重なキハは全く撮ってないけど…嗚呼、当時デジがあればなぁ…

 もち当時デジがあれば超最高やったけど、もし、キクハ16が実現していたら、アクセスしやすいこともあり、多分ハマってたので、そうなれば当然キハも撮り、ということは私鉄に目覚めるのがかなり早くなれたので、コトキチ鉄史が塗り換ってたなぁ!!
 ● 国鉄(門ミフ)クオリティ 【05/11/16追加】
 当時、九州から宇部線に乗り入れていた門ミフの421系は、冬場になると正面貫通扉の隙間を外からガムテープで塞いでました! 飯田線や南海貴志川線とかで内側から塞いでるのは見たことあるけど、丸見えの外から貼ってるのには流石にびっくり〜!! 当時の421系マニアの人(ってそんな人いたのかな!笑)は、冬場を避けて撮影してたやろね…笑

 更に当時の門ミフ車に乗ってみるともっとビックリ! っていうか近づいたらすぐにわかったけど、車体がメチャ汚く、窓ガラスはブレーキ粉とかで茶色に汚れて外が見えにくいありさま… 昼間2往復だけやったからそんなには乗ってないけど(旧国撮影効率が良くなるので乗れるときはなるべく乗ったけど)、ロケハンでき〜ん状態… 広ウヘの旧国の方がよっぽど景色が見えたわいな!!

 そう言えば、今は綺麗になったけど、一昔前の阪急京都線も茶色の煤で汚いのがよくいたなぁ…特に6300系特急車がきちゃなかったなぁ…綺麗に洗浄してる神戸線電車から乗り換えると余計目立ってた…

 ● 色々渋かったなぁ〜 【05/10/28前頁から移動】
 当時の宇部線・小野田線は電車だけでなく、設備も渋くて、タブレットは当然のこと、腕木信号に手動ポイントでした! 当時、デジがあったら、これらも撮りまっくってたやろなぁ…転轍機を切り替えるときガチャ〜ンといい音したなぁ…当時の交換駅の駅員さんはタブレット交換にポイント切り替えと大忙し。

 あっ、音と言えば、下関乗り入れはかっ飛ばしてたので最高の釣り掛けサウンドやったなぁ!!録音したかったなぁ…他の戦前型使用区間は大糸線が少しかっ飛ばすくらいやったもんなぁ…地元のクモルとか速かったけど乗れないもんなぁ…あっ、釣り掛けの爆音と言えば、これまた録音してないけど、山電(山陽電車)旧形車の神戸高速鉄道(地下)走行音は感動もんやったなぁ…
 ● 色々乗ったなぁ〜 【05/10/28前頁から移動】
 宇部線・小野田線の思い出と言えば、色んなアクセス方法(って全て国鉄ですが)も印象に残っています。飯田線へのアクセスは「ちくま」に乗りまっくったの一言ですが(もちろん他のアクセスもありましたが)、宇部線・小野田線は飯田線に比べ訪問回数は1/6程にも関わらず色々ありました。

 というのも、一番便利だった山陽路の夜行急行が一度訪問した後、1980.10改正で消えてしまい(阿蘇/くにさき、雲仙/西海のどれに乗ったかは失念…)、以降、播但・山陰線経由で夜行「さんべ」を使うも、最初の山陰経由のとき、台風によるがけ崩れで山口県内の山陰本線が不通になっていたのを知らず、深夜の出雲市で途方にくれる羽目に…親切な駅員さんのお陰で駅舎で寝かせて頂き、翌朝山口線経由181系「おき」で現地入りすることも(DC特急はこのとき発情射)。

 「さんべ」乗るには学校終わってからじゃ間に合わず、仮病早引けしたなぁ…播但線ではたまたま向かいに座ったおじさんに延々と自衛隊勧誘を受けたこともあったなぁ…夜の山陰線はマジ真っ暗車窓が展開し旧客に乗っててちょっと怖かったり…

 あと一度だけ青春18切符で往復したことも…このときは本当にケツが割れると感じた(笑)。

 んでも、少ない小遣いと長期休みの魚屋さん(卸)バイトで費用を捻出していた貧乏高校生だったので新幹線には乗れませんでした(ミニ周遊券は急行料金不要やったからなぁ…)。ふふふふふ…再訪するときは大人の威力、新幹線でイキまくったんねん!!
 ● 12系と14系 【05/10/28追加】
 夜行急行と言えば今は唯一の583系定期運用にもなっちゃった「きたぐに」と同じく489系の「能登」くらいやけど、夜行バスが少なかった当時はまだ結構残ってたねぇ(ちょうど激減し始めた頃)。阿蘇/くにさき、雲仙/西海とか全座席編成もあったけど、寝台車も付いてたなぁ… んでも当然乗るのは周遊券で追加料金のいらない座席車自由席… 阿蘇/くにさき、雲仙/西海の14系ハザは当時今のようなシュプールシートな訳なく原型のバッタンシートで昼間座るにはまだマシやけど、夜行じゃ寝れん!! 「ちくま」、「さんべ」とかの12系ハザは座り心地今一で混んだら最悪やけど、空いてたらC寝台(座席に横になり通路に足を出して寝る!)できたので、夜行で乗る分には良かったなぁ… 12系は混んでも最高の時があったりして…それは当時トレッキングの女子大生とかが向かいに座ってくれたらそりゃもうドキドキで…ってこれは「さんべ」じゃ経験できない「ちくま」だけの話やけどね… あ〜「ちくま」と言えば、12系暴走族って感じでアホ程乗りまくったけど、たまに165/167のケロヨンも乗ったなぁ…乗った12系はほとんどBOXシートやったけど、飯田旧国引退後しばらくして、上田交通や長野電鉄に行くため乗ったらリクライニングになってたなぁ…「ちくま」の代わりに名古屋から旧客「きそ」に乗ったこともあったなぁ…その「ちくま」も今は381系で臨時となり滅多に走らない…  ● どうでもいい思い出も回想(こう書いてると走馬灯のように甦る思い出☆)… 【05/10/28前頁から移動】
 コンビニない当時、真冬の琴芝駅前のヤマザキショップで買った肉まんが暖かくて旨かったなぁ!!
 琴芝駅前と宇部駅前で食べたチェーン店系(多分別々の系列)とんこつラーメンが旨かったなぁ!!

 真冬と言えば、真冬でも駅寝して通ってる兵がいたなぁ…○○駅はアルミサッシだから隙間風なくていいとかマニアックな話を…今は某雑誌でデジ記事連載してはるけどね(同じD2xやぁ〜)♪ 当時今よりも関西マニアはカマ屋さん比率が高く、旧国撮影でお会いしたのは関東組が多かったなぁ…特に関東からメチャ遠い宇部線なのに関西鉄に遭遇した記憶ないけど関東鉄はいたなぁ…って、旧国置き換え間際でも鉄自体と遭遇するのは稀やったけど…
 宇部線では旧国最終日に一度だけ駅寝したけど(友達に寝袋借りて小郡駅宇部線ホームの待合室で)、3月中旬で寒かった…
 他でも各一度くらい友人とかと駅寝したが(GW快晴の田切駅は寒かったなぁ…松本駅は真冬でも暖房入りで寝れた…夏の波高島駅では駅員さんが蚊取り線香を出してくれた上翌朝インスタントラーメンとトマトをご馳走してくれた♪)、懲りたので貧乏旅行ながらほとんどYHとかを利用したなぁ…

 宇部線では宇部ときわ湖畔YH、飯田線では駒ヶ根YHの常連やったけど(特に駒ヶ根YHは当事ぶっちぎりの宿泊数やったとか)、どっちも駅から遠い上バス少なかった(駒ヶ根のバス停、女体入口のアナウンスにドキドキ☆)…朝はよく歩いたなぁ…床波駅まで3〜4kmを重装備でよぉ歩いたもんや…って駒ヶ根は約5kmほとんど朝は歩きで、終バス早かったからYH行くのも結構歩いた…流石にぴちぴちの10代でも鉄した後に5kmの上りはキツかったなぁ…でも駒ヶ根駅前のカレー屋さんの学生カレーは安くてボリュームあって旨かった!!

 って、あれっ?一部飯田線とかの思い出も…笑
 ● コトキチ好みの順位 【05/11/18追加】
 1位〔神様〕 クモハ42006 クモハ42005
 2位〔仏様〕 クモハ40023 クモハ41082 クモハ40067 クモハ51031 クモハ42001(一応 ^^;)
 3位〔奥様〕 クハ55009 クハ55022 クハ55046 クハ55053 クハ55056 クハ55073 クモハ12027
 4位〔ヨン様〕 その他上記下記以外全て
 5位〔ババ様〕 クハ55081 クハ55320 クハ55324 クハ55328 クハ55340
 ● 発掘調査完了! 【05/11/28追加】
 なお、一覧表において、画像がない車両の特徴は暫定記入です。特徴ある車両以外はあんま覚えてないので、スキャニングするまではわかんない(特に一部にいたHゴムがどいつやったか)…あはは…。多分、全車撮ってると思うので(ほんま?)頑張ってポジ/モノクロネガを発掘しよっと♪

 と書いて、発掘始めたけど、やっぱクモハ41とクハ55の半流ノーマルタイプが最後のネックに…特徴あるのはすぐに判るからピンポイントでスキャンできたけど、こいつらはスキャンして車番見るまで特定できない…一通りまともに撮れてた走行や駅撮り取り込んだ後、やっぱこいつらに抜けがあり、次は車庫のを漁り、何とかクモハ41は埋まって、残りはクハ55090だけに! 重箱の隅をつついて今一なポジがあってもしゃーないし、モノクロネガから探すも中々見つからず(そりゃほとんどポジと同時撮りやもん)、あ〜こいつはなくて全車埋まらんのかと過ぎったけど、疲れてたのか今一天気にモノクロだけで撮ってるのがちょこちょこあり、そこから何とか発見して、何とかこのページの表題の面目躍如♪

 当時は自信満々で撮ってたけど、今から見ればあんま解ってないガキのヘタクソ写真で、スキャン&画像処理でカバーしつつも、いい感じで撮れてるのもあり、何と言ってもよくぞポジで撮っててくれたなと(やっぱネガじゃ解像度悪すぎ…)!! と思いつつ、所詮ポジも今のデジに比べたら…<デジの利点は言い尽くせないので省略!笑>…あ〜この頃デジがあればなぁ〜とやっぱ思ってしまう!!!!! 今の子供たちはデジから始めれて羨ましいと思うも、まっデジがない頃やから国宝級電車が撮れた訳で痛し痒しで仕方ないなぁと…今回本格的に発掘調査したため、久々に旧国をまじまじ見ると、今の鉄ネタにため息…んでも、猿デジを抑えて、ホントに撮りたいのをのんびり楽しくデジる!って気持ちになれていいんで、発掘もぼちぼちやって楽しもっと♪♪

最後に……
 撮り方中心に、色々タラレバはあるけど、よくぞ全車ゲットしててくれた(頑張って出撃してくれた)と若き日の自分に感謝!!
 25年後こんな風に再び楽しめるとは、鉄ってほんま楽しいね〜!!!!!

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