583系を追って、ふたたび。東北大陸を駆け抜ける旅(part2)


5/1
いよいよ3日目、GoGoFree切符の最終日である。今日はふたたび盛岡、新幹線を
フルに活用し、十分モトは取っている。ただ、2日で16000円に対し、3日で25000
円なのは、設定期間が繁盛期であるせいであろうか。
今日はそのまま実家に向かうので、その分の持ち物も前日の晩に揃え、なんと
か起きることもできた。3日連続で始発から乗り継いで東京に6:20着。走って
改札を抜け、23番に向かうが惜しくも?「Maxやまびこ201号」には間に合わず、
さらに「やまびこ・こまち1号」の自由席には一昨日にも増して長蛇の列がで
きていた。。。
この列車が混むのはGWの初日で確認した様なものだし、今日はもうはなから3
号を覚悟していた。(座って行けることの方が今日にもなると体力的にも重要
だった)あまりの混雑にとまどう人も多く、何度となく並んでいる列がどの列
車の何号車か確認された。一応書かれているのは列には2つあり、1つは次の
列車、その横に2番目以降の列車となっているので、7:08発の「Maxやまびこ203
号」ではなく、7:40発の「やまびこ・こまち3号」の待ちとして並ぶ。203号の
方の列の先頭の人とこの状況の凄さについて話しながら時間を潰す。1号が入線
してきて、次の列車の列には203号の、そして2番目以降として7:40発の先頭に
私が並んだ。しかし、すでに3号の列ができつつあった。1号の方はすでに一昨
日よりひどい状況で、すでに120%以上の混雑である。やがて発車して行った。
直後の「やまびこ33号」も自由席の乗車率が100%を超えた状態で発車していく
と、ホームの人波はかなり減ったが、それでも自由席に並ぶ人の列は増えつつ
ある。やがて203号となるE4系が入線、こちらはさすがにMAX、吸い込んでも乗
車率は60%程度でまだまだ余裕がある感じだ。結局70%強ほどの乗車率で203号は
発車していった。203は仙台行であり、かつ後発の3号よりも遅い到着になるの
で、仙台から先を急ぐ乗客(私もその1人)には選択されないこともあるが、
1号、そしておそらくは3号(3号はさらに函館行「はつかり」に連絡)の混み具
合いを考えると、こちらの方にこそMAXを投入すべきであると考える。(E4はた
しか275km/hだせるはず)速達でこの時期の混雑が考えられる列車に新型とは言
え、輸送力の小さいE2系を投入する理由に苦しむ。。。
さて、だんだん列が長くなって来て、もう並んでもとうに座れない状態になっ
た頃、折り返し3号となる「なすの230号」が入線してきて降車後車内清掃に入
る。待つ列はすでに同号車の反対側の並び位置にまで達しており、どこに並ん
だらよいかわからない人もちらほらでてくるほど。
発車10分前に近くなった頃、清掃が終了していよいよ乗り込む。入ってすぐの
1E席を確保する。(トイレのことも考えて)あっという間に車内は人に溢れ、
自由席車はすでに150%の混み様である。発車して上野、大宮とさらに人が増え、
170%くらいになる。通路、洗面所も人でいっぱいで、その中で禁煙車なのに煙
草を吸う人が。。。結構禁煙車にも喫煙者が(禁煙して)乗り込んでいるが、
煙草を吸ってよい場所かどうか吸う前に考えて欲しいものだ。仙台では一昨日
と同じくさらに混んで180%くらいになる。やはりE2系の8連では荷が重いと思っ
た。
盛岡駅11番線に到着する列車から外を眺めると、4番線に「はつかり105号」と
なる583系の姿が見える。編成を確認すると一昨日と同じN26だが、ふと上野寄
り先頭のクハネ583-23の屋根を見ると、こっちの車の特徴でもある常磐線用無
線アンテナがない!確かに国鉄末期、全国用に共通の列車無線アンテナの取り
付けが行われ、常磐線用としては不要になったが、ついに取り外された車が出
てこようとは。。。また調査項目が1つ増えた。
4番線に下りてきて、一昨日にチェックし乗った編成であるが、もう1度確認し
てから改札外に出る。新幹線への改札が自動化され、なんと入場する度に記録
が印刷される(しかも基本的に1つずつずれていく)ので、すでに7つの記録
が書かれて切符が何か見た目ではわかりにくくなりつつある。実際改札では
(定期の様にケースに入れて)見せて通る時に再確認されることも。。。
これ、すべて記録されたらどうなるんだろうか?とか思ってしまう。
さて、一昨日には寄る暇がなくて悔しい思いをした銀河高原ビールの出店に向
かう。2年前の夏、ここで見つけて以来、旅ではアルコール類をめったに飲ま
なかった私が、地ビールだけは見つけると(探す様にもなったのだが)飲む
様になったきっかけの店である。最近缶でも出てきたので、缶が買えると嬉し
いと思いつつ覗いてみると、店頭に缶の見本が置いてある。たずねてみるとこ
こではなく、南口側の酒店に置いてあるとのこと。あとで訪ねることにして一
度ホームに戻る。今は調査中なので、まだアルコールはやめておかないといけ
ない。
ふたたび上がって回送の到着を待つ。やってきたのはN25+24(29日のはくつる
81号の編成の逆)であった。おそらくこの編成が29日の105号の車内から見た謎
の編成でもあろう。しかし、バラされていた更新車の編成はまだ検査中?なの
だろうか?シュプールの時には2本がずっと使われている様な状況だったのに、
今回は未更新車がフル出場ではないか。。。


133号の発車を見送ってからまたまた外に出る。次の109号の回送の到着まで30 分近くあるのだ。それから「はつかり10/9号」は残念ながら今日も485だった。 この列車に583が代行で使われることはもうないのかもしれない。 この空き時間を利用して昼食にする。盛岡と言えばわんこそばに冷麺、はらこ めしだが、わんこそばは一昨年やったし、長野で昨晩食べたばかりだ。はらこ めし(駅弁)は一昨日にも食べたので、ここは盛岡冷麺を食べることにして駅 ビルの地下に行く。結局韓国冷麺なんだが。。。 「こんなもんかな〜」と思いつつ冷麺を平らげ、再びホームにあがると3番線 には485-3000が停車していた。折り返し「はつかり11号」になる車両である。 つまり、「はつかり109号」回送の到着から発車するまで(この列車だけ折り返 し停車の時間が短い)この車が邪魔になることになる。困ったが仕方ない。


さて、やってきた編成はN21、4/29に青森運でバラされていた編成の1本である。 やっと更新車に会えたというものの、残念ながらN24(+25)には会えない(おそ らくは今晩の「はくつる81号」に入るのだろう)ことになった。それでも大宮 でクハネ583-4の前頭部だけでも撮影できただけでもよかったと思うべきか。


上野寄り2両ほどがなんとか撮れる程度で、あとは調査するだけでもやっとの 状態で、かつサロの車内を撮ったりとあわただしく動くものの、時間はどんど ん減って行く。かろうじて調査完了と撮影ができる分だけ終えた所で時間切れ、 列車は青森に向かって走っていってしまった。これが場合によっては最後の見 納めになるかもしれないのに、そんな余韻に浸る暇はなかったのだった。 暇がないと言えばこちらも急がねばならない。折り返し新潟までの移動が待っ ている。酒屋で銀河高原ビール(缶ビールだと盛岡工場製ではなくて飛騨高山 製なんだそうだ。でも、おいしければ文句はない)を2本買い、1本はお土産 にして新幹線ホームへ急ぐ。東京に急ぐなら13:23発の「やまびこ・こまち14号」 が早着するのだが、またしてもE2系では面白くない。そこで、仙台まででも後 着だが、「Maxやまびこ46号」に乗ることにする。車両はE4系である。まぁ、好 きな車両にはならないだろうが、せっかくだから乗れる車両には乗っておきた いというものである。E1系の時は区間列車で自由席が多かったが、今回は自由 席が自由席仕様車のみである。悪評高き通勤型新幹線の自由席に乗ってみる。 しかも乗るならと更に悪評高い2F席に。
上がってみるとどうだ、6人掛けというのは知ってはいたが、なんと固定(回 転)クロスではないか!なるほど、こりゃあ不評なわけである。 一説に軽量化(重心を下げたり予定している性能を出すため)の為とかいう話 もきくが、にしてもちょっとこれはなぁと思った。(まぁ、席は自由なんだか ら他を選択できるだろうということかもしれないが) このE4系には事情があるのかもしれないが、例えば「あずさ」などを見ても 自由席との格差をつける方向が見えるし、SVOなどでもダブルデッカー車やハ イデッカー車のシートが御粗末な感がある。同じ自由席にしてもJR西日本や東 海の車輛と比べても御粗末な感を拭えない。行きの輸送需要とは掛け離れたE2 系投入列車の問題にしても、もう少し利用する側の身にたったサービスを東日 本には望みたい。(ここで書いても意味のないことではあるが) さて、このまま東京で上越新幹線に乗り継いでも面白くないので、未乗区間を 乗ることも考えて時刻表とにらめっこする。 真っ先に思い付いたのは磐越西線。郡山15:17着。残念、「ビバあいづ3号」 には間に合わない。このままだと「ばんだい13号」で喜多方か若松で夕食の後 「あがの3号」で新津までいける。せっかくだから白新回りをするとして新津 20:06発の835Dで新発田まで行って「いなほ16号」で新潟に戻れば21:15着。こ こでも1時間の空き時間ができる。若松で乗り継ぎなら「ばんだい17号」まで は郡山で余裕ができるけど、郡山にも何もないしなぁと考える。 さらに、福島から米沢に出て米坂線経由だと米沢18:19発の「べにばな3号」ま でないというか、その間に高畠で温泉に入れるなぁとも考える。しかもべにば なは新発田に20:49着。結果磐西回りと時間的には同じになるのだ(途中の豊栄 でいなほに抜かれる) 結局距離が稼げるということで磐西に乗ることに。SLでは来れなかったが、こ ういう形で乗車することになろうとは。 ちなみに東京経由で新潟に直行し、越後線辺りを乗ることも考えたが本数がな く、効率が悪いので断念することにしたのだった。 福島で一瞬心が揺らいだが、そのまま郡山まで行き、在来ホームへ。 ところが、3両編成の「ばんだい13号」は高校生などでラッシュ並の混雑。と ても乗る気分になれない。余裕があるので1本見送ることにする。15分程待っ て13号発車前から見えていた455のこちらは6連の編成は赤が主体のBANETSUカ ラーの「ばんだい15号」が入線してきた。青が基調だとSENZANカラーだったは ず。455は色だけではなく近郊型改造されており、トイレもクハに1つとなって、 出発前から混んでいた。^^;この455、配置はビバあいづ用485と同じく仙台電車 区配置で、ひょっとしたら仙台〜郡山も回送を兼ねて営業運転しているかもし れないが、にしても線区限定で寝床は離れているという変な運用となっている。
もとより仙台区配置の車輛は運用範囲が広いが、不測の事態が発生したときに はやっかいな気がする。やがて80%ほどの乗車で発車、6連なのが利いているよ うだ。乗客は観光客よりは地元の客の方が多い様である。発車してしばらく、 ボックスの向かいに座った男性からちょっと話しかけられ、そこから会話に発 展することに。会津東山温泉で同窓会で、西宮から来たそうだ。飛行機にしよ うか考えたそうだが、用事を済ますうちに時間が過ぎ、結局新幹線乗り継ぎで 来たそうだ。大阪から5時間、結構疲れたとか。 磐梯熱海を出て列車はどんどん登り始める。中山宿は冬のD51の撮影では有名 な所である。登りきってトンネルを抜けると右に磐梯山、左に猪苗代湖と、好 きな景色と再会する。電車では初めてだが車では時々訪れる好きな場所の1つ なのである。ここからさらに福島方面に抜けたり、五色沼や桧原湖など、この あたりは楽しい所も多く、車で来るにはよい所である。今日は電車でご挨拶だ けして帰る感じである。猪苗代を抜けると今度は下りになり、ちょっと降りて いった先が会津若松終点となる。右手からこの先進む喜多方からの線路が合流 してきて到着である。磐越西線はスイッチバックすることとなるが、そのまま すすむと只見線と別の路線になるのである。到着寸前、「あがの3号」となる キハ110系の姿が見えた。1番に到着して改札口に向かう。列車は折り返し郡 山行への準備を始めていた。  会津若松で夕食の手配をする。ところが、駅弁はすでに幕の内しかなく、駅 前をさがしてみるが、飲食店もいいものが見つからない。 結局あきらめて幕の内を買うことにした。休日の夕方ともなるとなかなか難し くなってくるものである。新潟は大きな町だからと一縷の期待をかける。 ホームで待つことしばし、別に据え置いても問題ないのだから早くから入線さ せればよいのに15分ほど前になってやっと先ほど見えたキハ110系の新津行き 「あがの3号」が入線する。また、ホームについてもなかなかドアが開かずに やきもちさせられた。編成はなんと両運車ばかりの3連であった。 ドアが開いてすぐ2人ボックス席を確保する。 郡山から「ばんだい17号」が到着して人が乗り込み、立ち客も出た所でやっと 発車、喜多方へ走る。ここはまだ電化区間で、一部郡山から直通や「ビバあい づ」も走るが多くはディーゼルというもったいない?区間である。喜多方は擦 れ違いの為の2本に、行き止まりの1本の3線のあっさりした駅であった。人 はちょっと入れ替わっただけで減らない。結構新津まで通す人が多いのかと思っ たら、その後どんどん減って結局3割ほどにまでなってしまった。 喜多方を出ると山合いに入り、典型的な日本のローカル線の風景になる。この GWからこの区間を「SLばんえつ物語」号が運転され始め、確かになかなか絵に なりそうな沿線風景と線形だと思った。ただ、ひょっとしてと予想したカメラ マンの撤収部隊は乗ってくることはなく、また、沿線に三脚の姿もなかった。 マナーがよいのかこれっきりではないので殺伐としていないのか。よいことで ある。 列車は快速なので途中からかなり通過していく。夕闇が支配して風景も闇に消 えたので単調な車窓となってしまい、そのうちこちらもウトウトしてしまった。 気がつくと新潟県側に入っていて、それでもローカル線のけだるい旅情は変わ らず時が過ぎていく。五泉ではこの秋に廃止されるという蒲原鉄道の電車がち らと見えた。最近はローカル私鉄(廃止されることもあるが)がブームで、先 日の新潟交通に続いてこちらも脚光をあびているようだ。 やがて到着のアナウンスが流れると新津である。20:03着。乗り換える835Dには 十分な時間があった。 「あがの3号」から乗り換える835Dはこれまた110系の3連。ただしこちらは キハ111+キハ112の片運車も入っている。同時発車だが「あがの3号」の方が 先発して左手の闇に消えていった。新津にはC57180がいるはずだが、どこにい るのか掴めない。 再び闇の中を列車は進む。考えてみればここは直流電化である。しかし非電化 区間からの直通でもないのに列車はディーゼルである。 直流区間内は直流電車(E127)、交流区間内は交流電車(E701)が走るが、両区 間をまたぐ列車は高価な交直流電車ではなくディーゼルの方が合理的というこ とらしい。 かつて電化(EL化して客レはそのままも多かったが)すると電車化されたが、 再びディーゼルが意味をなせるほど性能があがったということになるのだろう。 ほとんど乗客がいないまま走って新発田に到着。人気(ひとけ)のない列車か ら人気のない(駅員は除く)駅に降り立つ。そういえばローカル線を回る旅は こんなだったなぁと思いだす。
新発田で「いなほ16号」を待つ間に米沢からの快速「べにばな3号」がやって くる。この列車だと途中に唯一停まる豊栄で「いなほ16号」に抜かれるので、 18きっぷではないし、乗る必要はない。編成はキハ58にキハ52!の2連であっ た。しかも飯山色である。まだ生き残っていたとはおもわなかった。
「べにばな」がでていってからしばらくすると闇に3つライトの光が見えてき て「いなほ16号」の到着である。先頭はクハ481-300であったが、中間には1000 番代の車も見える。「みのり3号」でも乗ったカヌ車である。こんな状況ゆえ 空いているだろうと思ったらさにあらず、9割近く席は埋まっていた。車内の アコモはみのりの時と同じである。 発車してしばらく羽越本線と併走し、やがて軽く右にカーブをきって分かれて いく。闇の中を走り、途中先ほどの「べにばな3号」を抜いていく。終着のア ナウンスが流れはじめるともう新潟、左手には上沼垂区が見えてくる。ここは その手前の新潟貨物ターミナルからそのまま信越本線に出る短路線があり、こ の白新とで三角線ができておりその1辺に上沼垂区がある感じである。その角 にクハ181-45がぽつんと保存されていると鉄道ファンには写真であったのだが、 見えなかった。 手前でちょっと入線待ちをしてから到着。乗客が降りた後は、列車は回送で引 き上げるようだ。ホームの向かいでは下りの「いなほ」を待つ人がすでに自由 席に列をなして待っていた。「いなほ」の需要は高い様である。 一度改札を出て実家への土産と夜食の手配にでる。ここから「きたぐに」に乗 れば次は大阪だ。 ところが、土産物は買えるのだが、駅弁はすでに売りきれ、21時を回るとこれ また駅周辺には立ち食いそば(もちろん居酒屋や飲食店はあるが、ここで腹に いれるのではなく、車内に持ち込みたいのだ)位しかなかった。 結局土産に買った笹団子のバラを夜食代わりに何個か買って足しにすることに した。あと、新潟駅にはエチゴビールなるものが売られているのだが、1缶な んと750円!ちょっとためらってしまった。 この調査行の締めくくりは「きたぐに」、実は4月も初旬に乗っているので、 久々と言うわけではない。考えてみれば西の583系で一番長寿の列車となって しまった。(山陽区間では最長が「金星」「明星」のS43.10〜S57.11、東北は 「はくつる」のS43.10〜H6.12が金字塔)乗車回数も「きたぐに」が1番になっ てしまったかもしれない。 さて、今までだと発車30分前には入線していたものだが、どうも短くしたらし く、20分前になってもまだ来ない。自由席には結構並んでおり、今日は席取り が厳しそうだ。また、今日は2両増結(ただしB寝台のみ、定期で12連の時に は自由席とB寝台車が1両づつ多かったのに)されているが、はたしてどれく らい埋まっているか興味のある所である。(5年ほど前になるが突然思い付い て前日の夕方に取ろうとしたら満席だった経験がある) 待つことしばし、15分前になってやっと入線である。編成はB6にB2のユニット (74)がサロネとの間に増結されていた。久方に見る12連である。往年が思い 出されるが、昔に戻った様だとは言え、やはり原色が恋しい(盛岡で見てきた ばかりではあるが) さっそく荷物を席(寝台)にほおり込む。今晩の席は8号車12番下段。前回も 下段だったので今回は中段でもいいかなと思ったが、移動したりするので下段 にした。ただ、禁煙車は取れなかった。(583は客車と違い、喫煙できると言っ てもデッキか洗面所なので車室が煙くならなくて嬉しいのである。)ちなみに この番号を見てピンと来る方はツウである。そうパン下*下段*なのである。 いや、有名なのはその上の中段なのであるが。 発車時間までを利用して撮影に勤しむ。で、ギリギリまでねばってから乗り込 む。缶紅茶などを仕入れることも忘れずにすませてまもなく、ドアが閉まって 列車は定時に発車した。 自分の寝台に戻る、前回に比べても今日は利用客が多い。どちらかと言えば閑 散期の火曜の上りでも50%程度の利用があるハネである。今日は満席になるか もと思った。自分の1つ横では向かい合わせの下段2つと、片側の中段1つの 3人連れの男性がビール片手に就寝前の宴を開いており、声が聞こえる。どう も中段の広さが気になるようで、「なんやここ、下段よりも広いぞ」とか聞こ えてくる。それは知らずにそこが当たったあなたはラッキーだったんだよと思 う。 いつもなら8号車の6つだけなのが、今日は10号車にも6つと倍の数がある通 称パン下中段であるが、今の所私の上ととなりの上はヌシが来ないようである。 もっとも無条件でマルスを叩くとここが1番に(禁煙指定でなければ)でてく るはずなので、たぶんヌシは現われると思う。 急行故、こまめに停車しては客を拾っていく。東三条から乗り込んできた家族 連れが車掌に上中段しか取れなかったので下段の空きがないか尋ねている。す ると今日は満席なので変更等はできないとの対応だった。「今日は満席なんで すか?」と尋ねると「えぇ、おかげさまで。ご迷惑をおかけして申し訳ないの ですが、寝台はBもAも、グリーン車もすべて指定は満席となってます。昨日 は下りでこっちに来たんですが、昨日のそちらもすべて売り切れで申し訳ない ことです」と対応してくれた。人気があって申し訳ないというのは変な気もす るがそれだけ「きたぐに」の人気が高いことを物語っている。かつては定期で 特急「つるぎ」が走っていたが、利用率低迷で廃止の憂き目にあっているのに、 急行だからか、ロネからロザ、普通車自由席まであるからか、「きたぐに」の 人気は一向に衰えないのは嬉しいことである。「津軽」が山形・秋田新幹線の 開業の影響かついに臨時でも運転されなくなったのとは対照的である。 そういえば、上中段から下段への変更を希望する光景は、かつて山陽夜行華や かなりし頃に583系ではよく見られた光景であった。かつての栄光が思い出され て嬉しくなった。急行だから今でもというか、583系だから今でもというか、3 段式の寝台もこういう時には数が稼げることが重要で、輸送力列車にはまだま だ必要と言えよう。これが2段式なら当然寝台の数は単純に言って2/3になるわ けで、乗れない乗客が今以上に発生することになる。583系バンザイである。 いつもなら乗客があらかた入って通路が空いた時間に乗車率調査を行なうのだ が、満席という話を聞いて回るのをやめにした。ただ、自由席の状況を知りた かったので、なんとか4号車までたどりつくと、すでに5号車のデッキに座り 込む人もいるくらいで、洗面所にも溢れた人が数名、車室を覗き込むと通路も 含めて人がいっぱいで、そこからはいかなくてもわかる状況なのでやめにした。 そういえば、もう16年も前のことになるが、北海道へ旅行する際、米原から日 本海を縦貫していくことにし、当時まだ14系になったばかりの「きたぐに」に 乗車した。盆の混雑も落ち着いて一番需要が少ない頃を狙ったにもかかわらず、 自由席は満員、いや、シートを向かい合わせにして寝ている客もいて一杯で、 車掌は「起こして座って下さい」と言うものの、できるわけもなく、(今なら 平気かも。^^;)しかも3号車では上半身裸で見事な絵の方が踊っている始末 で泣く泣くハネに流れたという経験がある。(痛い出費であった)それも今は 想い出ではあるが。考えれば「きたぐに」とは以来の縁である。 長岡で9分の停車時間を使って新潟と反対サイドの撮影。ただ、ギリギリまで 粘ると置いていかれると大変なのでそこそこで切り上げる。 再び寝台に戻る。長岡を出た時点で8割程の乗車率。私の上にもヌシがやって きていた。(隣は確か直江津で乗ってきたと思う) 新潟で買った笹団子をほおばり、お茶で流して夜食は終わり、こちらもそろそ ろ寝るとしよう。3日間の疲れでクタクタである。洗面所へ行って寝る支度を すませ、ベットメイキングをして横になる。 しばらく走って気がつくと直江津。寝台券と急行券は新潟からだが、乗車券は ここまでフリー区間である。ここからは別途片道乗車券となる。本当に3日フ ルに使ったGoGoフリーきっぷであった。なお、日付は1つ前の柿崎で変わって いるが、乗車中の列車は期限が切れても最後まで乗車可能である。もっとも、 それも直江津まででここからは区間外なのであるが。 途中それでもウトウトっと目を覚ました記憶があるが、起こされたのは大津手 前のおはよう放送である。583系は客車の様な発進停車時の衝撃がないので楽 である。(「銀河」で何度起こされたことか) さすがに疲れは抜けずそのまま京都までゴロゴロすごす。下段だと窓が1つ自 分のものなので遠慮なく開けて見られるが、逆に見られもする。^^; 京都を出た所で起きだしてそのまま自由席を見に行こうとしたがもうすでに夜 行列車ではいつもの朝の賑わいが始まっており、この混雑ゆえ断念した。 今回は山側なので京都所がそのままでは見られないので9号車のデッキに出て 確認する。先月からキト所在姿で大阪寄りの3両が外れたB1と(恐らくは全検 なのであろう)その隣にクハネが見えたので、こちらは今乗っている車の本来 のB2の残りなのであろう。あとは西留にB4の姿が見えた。ということはB3かB5 が対向で走っていることになる。 大阪までの間、下段寝台の背もたれに座る感じで景色を眺める。座高にもよる が、583では寝台状態でもこうしていられるのが下段の特権でもある。ただ、 ここはパン下下段、網棚が本来の位置ではなく中段舟についている分ちょっと 高さが低いので頭に当たるのが困った所。中段は大変おトクなのだが、下段は ちょっと損という所か。 また、モハネ582の方(8号車)には主変圧器があり、記憶では昔はそんなこと がなかったと思うのだが、交流区間だとこの変圧器がウナリ?をあげ、煩くて 寝られなかったことがあった。山陽上りだったので、九州から出たら静かになっ たので事なきを得たが、8号車の1〜8番あたりまでの下段は辞めた方がよいで あろう。これは485系でも同じだったので、583の欠点ではない。(TM20に問題 があるのではないかと思うのだが) また、冬場は暖房が入るが、これが下段の下にヒーターがあり、とても暑い思 いをすることになる。逆に夏場は今はカーテンに開閉式の取り入れ口がなくなっ たが、クーラーの風が吹き込む感じになるので上段は寒い思いをするし、クー ラーの音が耳障りになるかもしれない。 となると中段が一番よいことになるのだが、1つ、舟の形状で荷物があると置 き場所に困るというのがある。下段はよほどのことがないとそんなことはない し、子連れでもロネと変わらぬ(本当に変わらないのだ。むしろ広いくらい) 下段はとても便利である。583系利用の心得えである。 新大阪を出ると鉄道唱歌による(東日本の583系はオルゴールによるものであっ たが曲は違っていた)終着アナウンスが流れ、淀川を渡って大きく右にカーブ していくと終点の大阪到着である。 大阪でも隣のホームに走って撮影を行なう。10分の間にすべての乗客を下ろし、 すっかり身軽となった583系は回送となって京都区(旧向日町運転所)に走り去っ ていった。  東の583系は終焉間近、西の583はまだまだ健在と明暗が分かれた583系である が、西の延命工事で永らえてはいるものの、この先10年でどうなるかはわから ない。 寝台車自体も西のサンライズ、東のカシオペアと、着実に世代交代の波が押し 寄せてきている。 いつまで続くかわからないが、583系のもう長くはないであろう余生に幸多から んことを祈らずにはいられない。 こうして583系づくしの旅は終わった。

                   (1999年5月1〜2日 記:たいちょ〜)


taicho@ec583.org
(C)Copyright EC583 since 1993, All Rights Reserved.