12/29('98)
家で済ませたかった用事をなんとか終え、帰省ラッシュのさなかとなってしまった12/29
に明石の妻の実家に向かう。当初12/27に予定していて、その日の「のぞみ13号」を
押さえてあったのだが、いろいろとあって予定がずれこみ、キャンセルとなってしまった。
さすがに帰省ラッシュの始まるこの日はずっと満席で、諦めていたのだったが、偶然にも
前日にキャンセルが出て(その時2枚)この日の「のぞみ13号」の指定券を確保すること
ができたのだった。
しかしながら席は喫煙席(私は煙草は吸わない、むしろ避ける方)の15号車16B席。位置も
B席と最悪の席であった。まぁ、席が取れただけでもマシと言えよう。
ほとんど諦めていて、「ひかり121号」の自由席に並んで残り少なくなった食堂車を味わう
つもりでいたから、難しい所ではあるが、乗りたかった500系に乗れるのだから文句を言っ
てはいけないのかも。
なにせトラブルの多いこの頃故、いつもより早めに家を出て東海道で東京駅へ。東海道ホーム
で「さくら」の到着を見たりしてから弁当屋へ向かい、「鮭いくら寿司(1200円)」を購入
する。
この駅弁は白泉社刊「ヤングアニマル(青年誌)」に連載中の鉄ちゃん漫画、「旅鉄友の会」
で推薦の弁当のうちの1つで、1度賞味してみたかったのである。と一緒にお茶(150円)も
購入。缶ではなく、昔ながらの(ちょっと変わってはいるが)ポリ容器のお茶である。
さらにコンコース内のみどりの窓口で禁煙席への変更ができるか確認するが、満席。「のぞみ
13号」だけはグリーン車も含めて全区間満席の案内だ。さすがは500系ということもあり、
時間帯もあって人気の高さがうかがえる。(他の前後して発車する列車はグリーンは大抵空き
の表示であった。)
連絡改札を抜け、(いつもは南口寄りなのだが、今回は北口寄り)14番ホームへ。
しばらくすると品川方から500系が入線してくる。その前頭形状といい、航空機を思わせる様な
丸い断面といい、異例なまでのカッコよさはほれぼれする。
指定があるのでゆっくりと16号車に向かい、撮影。それから乗り込む。室内も丸い。
面白いのは仕切のドアも上がまるくつぼまっている所か。
側壁が丸く倒れこんでいることもあって、通常ならA席の途中までせり出ている荷物棚が、B席
の頭上近くまででていることである。A席は窓から外が眺められる以外、圧迫感が強くて、B席
よりもよくないかもと思った。
あと、500系では300系と比べてシートピッチが広くて足元に余裕がある様に感じられた。
あと、シートの色であるが、赤みの強い紫系の色は(自分としては)落ち着きがなく、いい
色には思われなかった。東のE3の様な黒に黄色の枕の様な配色もドギツイが、紫を使うなら
もうちょっと紫(青)味を強くして落ち着かせたらと思う。
やがて発車時刻となり、VVVFサウンドと共に出発する。停車中はやたら空調の音がブーンと耳
障りで、これは喫煙車だからだろうか?とか思ったが、走行中になるとVVVF音を含めた走行音
の方が耳につく。航空機の方がもっと静かな気がするのは気のせいだろうか?
また、VVVF音も、日頃の通勤車と比べて160km/h近くまで可聴変音域で制御されている様で、
さすがに300km/hまでだせる車は違うなと思う。反面、その域である関係か、加減速度が強い
(ギクシャクする)様にも感じた。
乗り心地は確かアクティブサスを使用しているはずで、それだけあって、300系より柔らかく、
ゆったりとした乗り心地であった。300系だと210km/hを超えるとボルスタレス台車の特性も
あってピッチングの吸収ができず、よい乗り心地には思えなかったが、500系では270km/hを
出している(と思われる、昔の様に速度計がないので)区間でも騒音は別にしてそう感じさせな
い乗り心地であった。ただ、台車がダウンして車体がゆっくりとダウンする感覚はちょっと嫌な
感覚ではあったが。
さて、インプレを味わって後、雑誌を読み耽っていると、車内放送がかかる、いつもならそのま
ま聞き流すのだが、「藤沢市からお越しの佐藤哲也様、お電話が入っております、お近くの電話
をお取りください」。。。
え?俺?家族からか?とか思いつつ、14号車方へ(16号車にもあったのだが)。
ところが、14,12と丁度使用中で、そのまま11号車の売店車へ、確認は電話を取らないとわから
ないとのことで、結局10号車!の電話を取る。やっぱり私宛て、待つことしばし(本当に途中で
切れたんじゃないかと思う程待たされて)相手は家族ではなくて、知人からであった。ちょっと
別の知人に連絡を取って欲しいというものであったが、列車を知らせておいて、そして聞き逃さ
なくてよかった。^^; わざわざ知らせてくれてどうもありがとう。
別の知人にそこから連絡を取ったのはいうまでもない。新幹線で電話呼び出しを受けたのは初め
ての経験であった。10号車まで歩いたついでに車内を観察したが、帰省のファミリー新幹線とい
う状況であった。
いつもの「ひかり」の感覚より少しづつ早く抜けて、名古屋には1時間36分、13時32分に到着、
隣のC席の男性が下車していった。と思ったらすぐさまC席には名古屋からの男性が。さすがに
ちゃんと区間毎に管理されていることを思い知った。さらに走り抜けて新大阪に2時間半かっきり
の14時26分定刻に到着した。
外から見てもこれだけ丸い500系。。。
新大阪からは0系こだま。考えたら空調の騒音は0系譲りの様な気が。いつもはガラガラなのに、
さすがにこの時は指定席(ついでだったので「こだま」も指定を取っていたのです)も含めて
まぁまぁ乗ってました。でも隣の4Eには西明石までヌシは現われず。。。
12/30-31
明石駅西方で80-320mmを使ってシュプール回送の撮影など。
今年から583使用が1号から5号に繰り下がり、上りは神戸止となったので夜も出動。
30日の2号回送はなにかあったらしく来ず。
更新車の113系4連に遭遇。あそこまでいじってあると新車みたいではある。
Tnc Mn' Mn Mn' Mn Ts Mn' Mn Mn' Mn Tnc 581 582 583 582 583 581 582 583 582 583 581 12/30,1/3 3/2号 B2 28 74 74 73 73 103 68 68 78 78 35 12/30 5/4号 B3 30 50 50 -- -- 101 -- -- 45 45 29 12/31 3/2号 B1 24 71 71 18 18 102 53 53 85 85 25 12/31 5/4号 B4 22 75 75 -- -- 29 -- -- 87 87 37
1/2
年は明けて99年に。今日は知り合いが参加しているサークルが協賛している展示会を見にいく
ことになっていて、家の都合で上の子供同伴で見にいくことになった。
まずは南海サウスタワーがわからなかったので地図で探す。
すると 南海難波駅の真上であることが判明。^^;
ちょうど「スーパーはくと4号」が来る時刻だったので、新快速をやめて周遊きっぷの利点を
活かしてこれの自由席利用を目論む。
2号車が禁煙自由席なので2号車の位置に並んでいたら、1両増結されており、その増2号車は
指定席であった。-.-;全くの不案内である。
さすがに1シート空いている所はなく、通路を挟んで座るが子供は特急に乗れてごきげんである。
さらに時刻表を眺めると新大阪で20分程待つことになるが「オーシャンアロー17号」があること
がわかる。子供もそれに乗れることがわかると待 つことに反対しない。^^;
しかし、新大阪で待っている間に先発した「はるか」に自由席が12月からできたことに発車した
編成を眺めて気がついた。^^;(でもガラガラ)しまった、こっちがあったか。
で、帰りに乗ろうねと話してきかせる。^^;;;
オーシャンアローは結構混んでいたが、それでも奥の方に1シート空いている所を見つけて座る。ラッキー^.^v
283系は基本的には681系以降とインテリアの基本は同じで、照明も暖色系である。
テーブルが前のシートの背面ではなくサイドからの 引きだし式になっているが、
こういう点も確かに近鉄と似たつくりになっている。
梅田貨物駅を通過、かつていた20系はすでになく、そのまま貨物線経由で西九条から環状線に。
ほどなく天王寺。さっさと降りて子供の依頼で記念撮影。環状線で1 駅戻って新今宮から南海に
乗り換えなんばへ。
帰りは逆パターンで天王寺へ。そこから「はるか30」号に乗り換え 新大阪へ。
こちらは回転式のコップ置き(テーブルにあらず)が面白い。ただ、シートの配色はNEXよりは
マシとは言え、ちょっとE3 に近いドギツサを感じた。
新大阪から神戸方面にちょうどよい特急 はなく、新快速で大阪へ。
大阪で用事を済ませ快速で明石まで帰る。
鷹取には播但のキハ58系とスハネフ14が廃車待ちで、工場ではオハネ14の解体中。
尼崎のアルナ工機では東武のものと思われる電車が儀装中であった。
1/4
明け方3時過ぎから寝られず、どうも風邪を引いたらしい。 にもかかわらず薬で押して
午後から家族でハーバーランドに。 胃をやられてほとんど食べられず。^^;
義親の抑止を振りきり、薬とちょっと腹に入れて出発。明石から乗り換え無しに東京まで乗れる
なんてなんとありがたいことか。
おそらく明石から東京まで特急で移動できるのは、東海道新幹線開業以来ではないかと思う。
「列車が通過します(おぃおぃ)」というアナウンスでやってきた「サンライズゆめ」
は西の第1編成であった。
方向幕は「特急東京行」 停車位置から検討をつけていた位置はなぜか1両ずれて、
6号車から乗り込む。(試乗会の時と同じ^^;)
指定は(寝台にあらず)6A、 6号車から2番目(4列目)の下段であった。
初めて乗る285、そして1/2と合わせると281,283と共に28*系の車両に全て乗ったことになる。
ノビノビ座席の感想は、寝台ではなく床に寝るような、そんな硬い 所もあるが、
ハネより占有面積もひろく、荷物を置くにも不自由しない。スポットライトや
備え付けのコップまであり、これで指定席料金とは夜行バスへの対抗とは言え、
なかなかの発想である。枕はない(頭の位置に敷く小さなシーツ?はある)が毛布はあり、
左右の プライベートの確保には無理があるが、通常のシートに寝ていくことを考えればなんと
楽なことか。体調が不十分とは言え、無理してもこれで帰るほうが病み上がりに新幹線の座席で
帰るより遥かに楽 だろうと思った。
5号車の通路
席より通路側をのぞむ
乗り心地もボルスタレス台車であることを感じさせない柔らかさで、 今の所は
(ガタが来るまでは)合格である。VVVF音もかなり抑えて あるようだ。ただ、
最初の加速時に床が震える様な振動から可聴音 に変わっていくのがわかるのは下段!
に寝ているからだろうなと思う。そういう意味では上段(CD席)の方がよいかもしれない。
また、 583系に比べても線路が近く見える程に低い位置で寝ている感じを 受けた。
音的にはVVVF音よりドアの開閉に伴う警告?音(ミドソド)の方が気になった。
途中眠りに落ちかけながらも神戸、三宮、大阪、新大阪、(京都運転所通過時には
寝入っていたらしい)京都と停車を確認する。2階建ての階下席ほどではないが、
停車中にホーム側の窓から覗いているのはちょっとこっぱづかしい。また、臨時ゆえ、
結構物珍しそうに向こう側からも眺められるから尚更である。
さて、そうまでして起きているのには理由があって、それはこのままでいくと米原で
「きたぐに」に追い付きそうな状況なのである。つまり、 583系と285系の並びが
実現しそうなのである。これを見ずしていられようか?通常なら平気なのだが、風邪
による体調不良で、睡魔との戦いであった。
途中草津付近で先行の普通(快速)野洲行に追い付いたのか、ちょっと停車したのは
臨時ダイヤの仕方ない所か。気がつくと彦根辺りでは「きたぐに」に続行する様な時間と
なっていた。やがてRTRIの風道施設が見えてくる。もう米原も近い。ライトアップされた中に
役目を終えたSTAR21とWIN350の姿が見える。E2系、500系 の礎となった試験車である。
そして米原駅8番ホームへ。6番に583 系「きたぐに」が285が583に追い付き、そして抜いていく世紀の瞬間であった。向こうの車両からもこちらを気にして眺めている人が見えた。
Tnc Mn' Mn Mn' Mn Ts Ta Mn' Mn Tnc 583 582 583 582 583 581 581 582 583 581 1/4 501M B5 28 89 89 66 66 16 5 102 102 33さて、つぶさに眺めていて気がついたことが1つ。モハネ582-66のパンタの上がり方が変 なのである。長浜の先から交流区間に入るので、ここで交直切換えテストは行うが、 それとはおそらく無関係に主 パンタ(新潟寄り)が下りていて、副パンタ(大阪寄り)が 上がっているのである。まぁ、間の断路器を切らなければそれでも交流区間を走れるとは思うが、 こうして両パンタの磨耗度合いを均衡化しているのかとその時は考えた。 (あるいは主パンタの不具合による応急処置か)
モハネ582-89(2号車)の副パンタ
モハネ582-89(2号車)の主パンタ
モハネ582-66(4号車)の主パンタ
モハネ582-102(8号車)の副パンタ
モハネ582-102(8号車)の主パンタ
しかしながらたまたまこの「きたぐに」に乗り合わせた人によると交流区間に突入後停電となり、
長浜の先(虎姫?)で5分ほど停車したとのことだから、何らかのミスがあったに違いない。今
は出区時にすでに片パンなので、その時点での操作ミスであろう。
やがて乗務員交代をすませ、こちらは先発し、「きたぐに」を抜き去っていった。
なんと象徴的なできごとであろうか。(同様に定期上り「出雲・瀬戸」でもこの米原で
「あさかぜ」を追い抜くというドラマが行われている)
さぁ、もう寝よう、東京まで後5時間ちょっとしかない。
途中熱海で1度目を覚ました他は熟睡状態で、藤沢直前での車内放送まで眠ることができた。
体調もあっただろうが、客車「銀河」ではありえないことである。
その「銀河」をも富士で抜いて、東京着は「MLながら」の次、優等列車としては
1番列車として走る。
やがて保土ケ谷付近で再度車内放送。横浜で下りてもよいが、このまま東京までいくことにする。
気分は悪くはないがやはり寝不足だ。
品川直前で東京到着のアナウンス、そろそろおきないといけない。
373系が眠っている田町区を過ぎてこちらも下車準備だ。
やがて東京に到着。 まだ夜の明けきらぬ10番ホームに到着した。
1晩世話になったモハネ285のエンブレムと外観(下)
カメラの残りフィルムを消費し、さらにDVで撮影するうちに9番に6:39発 の小田原行が入線、
これに乗り換える。「サンライズゆめ」の回送が出ていった後、こちらも出発である。
田町区には先ほどまで利用していた285と、すでにライトを点灯して出区準備にはいった373が
見えるのみ。
「銀河」「出雲」と擦れ違い、そして定期「サンライズ瀬戸・出雲」と擦れ違った。
こちらは14連、さすがに「サンライズゆめ」と比べると編成が長い。
その後川崎到着直前、多摩川を渡る橋の上で本当の日の出(Sunrise)を 迎えた。
世間では今日辺りから初出勤で、上り方向が混んでくる。こちらも川崎でほぼ満員となった。
横浜で多くの人が下り、ちょっと空く。大船で再び結構乗車があって再び満員となると
次は藤沢である。
乗り換えの小田急は10連急行が発車した直後か思ったより空いていて、
長後まで座って帰ることができた。
家に着いて体を暖めて後再び寝たのだが、それから体調が戻るのは2日後のことであった。^^;
(1998年12月29〜31日、1999年1月2、4〜5日 記:たいちょ〜)