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上野に着いてまずは並び場所の確認。2日前に編成を確認した所、9号車 がクハネ583のトップナンバーだったので、禁煙車でもある9号車に乗ろう と決めていたのだが、すでに1家族(4名)と1名が列にならんでいる。^^; 入線2時間前ともなれば当然かもしれない。 その他にも「あさま」「加賀」「能登」などにも結構な待ちの列ができつつ あった。
さて、こうなるともう食事にでることは難しい。ただ座れればいいってわけ ではなく、座る場所も重要であるからだ。クハネ583には13ボックス、52人 が定員であるが、最初の13人であることは重要なのである。(特に夜行では) さりとてカメラなどが入ったバッグを10分以上放置して食事するほど不用心 でもいたくはない。
仕方なくKIOSKで弁当(2食分)とお茶缶を購入。新聞も買って敷布代わり にする。なぜ弁当を2食分買うかと言うと、「津軽」は臨時急行なので、当 然車販を期待することはできない。(かつて臨時特急ですら車販がなく、3 時間近くおあずけを食らったことがある。^^;)「津軽」の青森到着は12:15、 山形の到着は早過ぎで途中弁当入手が可能なのは秋田だけで、殺到すると買 えない可能性があるからだ。(秋田では場合に寄っては写真を撮りたいとい うのもあった。)
しかし、駅弁の賞味期限はどっちも午前3時、車内ならともかく、今のこの 暑さでは痛みも早い。かと言ってギリギリまで待つと売りきれで入手できな くなるかもしれない。。。ずいぶん葛藤があったのだった。 1つを平らげてなお待っていると見知った顔が。知り合いが見送りに駆け付 けてきてくれたのでした。(どうもありがとうございました(_ _))荷物番 をお願いしてコンビニへおにぎりを買いに行く。おにぎりの方がまだ持つか もしれないからだ。
大連絡橋にあるJR系列のコンビニでぶじ入手。こちらは午後12時(つまりあ すのお昼)が賞味期限なのでなんとか翌朝まで持ってくれるだろう。(油断 は禁物だが)ということは、あの弁当を夜食にしないといけないのか。。。 その後はくつる81号の調査をしたりしながら時間を潰し、21時55分に臨時の 夜行急行「加賀」が定員の半分くらいの乗車率で出ていくと、22時を回って いよいよ「津軽」の入線である。いくつかのフラッシュの出迎えを受けなが ら583系が入線してくる。何度見ても紺にクリームのツートンボディが夜行 列車の旅情を誘い美しい。編成は予想どおり2日前にみた編成と同じ編成で、
8/8 8401〜8411M
↑青森
クハネ583-13
モハネ583-14
モハネ582-14
サロ 581-6
モハネ583-58
モハネ582-58
モハネ583-104
モハネ582-104
クハネ583-1
↓山形
山形までの先頭はクハネ583-1である。
到着してドアが開くとまず席の確保。予定通り山形から先で進行左側進行向きの席を確保することができた。そしてボックスに向かいに女性が1名と横におじさんが1名の3人。その他も1ボックス2〜3名で、70%ほどの乗車率か。かつての「津軽」の混み様(噂でしか知らないが)から見れば、この 時期でも空いている方なのであろう。昔は指定はともかく9両全車が座席車だったのが、3両が寝台に変更されていても足りるくらいなのであるし。
発車までの間、見送りに来てくれた人とクハネ583-1を見ながら写真を撮ったり、あれこれと細部を眺めながら話をする。この車、前に全検を受けてから そろそろ3年近くなり、検査切れも間近い。塗装の退色はひどくはないが、 いろいろと痛み、剥がれなどが見られる。車体も昭和45年6月落成からすで に27年が経過し、外板に歪みや腐食が至る所に見られ、特に東北の風雪に耐 えてきた年季を感じさせられる。室内は結構手が入っていて、更新車とサニ タリー関係などは大差なく改良などされているので、今年度くらいにはあと 1本廃車が噂されているが、その中にはいらずに頑張って欲しいと思う。 後から隣の15番線に入線してきた定期の「はくつる」が一足先に出ていくと こちらも22時34分、後を追うように出発である。 見送りの人に送られながら、定時に列車は上野を後にした。 すぐさま案内放送が入る。停車駅の案内と、盗難防止の話と、ベンディング サービスのないこと、そして翌朝まで案内放送を休むことを告げる案内が流 れた。そういえばチャイムがおなじみの鉄道唱歌ではなく、違った曲である ことに気づいたのは翌朝のことであった。
車内は座席車であることもあり、まだざわついているが、列車は静かに75km/n 位の速度で滑るように静かに走っていく。やがて大宮に到着、出発するとな んと車内検札が始まった。-.-;
まぁ、上野出発時点で行なっていないわけであるし、帰宅途中の利用もある のかもしれないが、案内放送は終了し、すでに座席車とは言え寝入っている 人もいるのに、なんとも(仕方ないとは言え)ぶしつけな気がした。 前の女性はどこまでかは見ることができなかったが、十和田、奥入瀬の雑誌の切り抜き?を横に置いているし、横の男性は青森・十和田ミニ周遊券であった。ということは、青森近くまでこのボックスは3人乗車なのであろうか?夜も更けて、だんだんと車内も静かになってくる。そうそう、夜食の弁当を早く食べなければ。
一通りたいらげてゴミ箱へ。一応終点まで乗るので時間に余裕があるとは言え、こちらも寝る準備をしなくては。
すませて席に戻るとすでに女性は寝入る準備を整えていた。やはりクーラーの冷えを予想して毛布にWBを枕に。それから靴とは別にサンダルも見える。なかなかこの手の列車で旅慣れている様だ。横の男性はヘッドホンステレオを聞きながら寝る様だ。ちょっと漏れてくる音が耳障りではあるが、まぁよしとしよう。583は夜行列車用でもあるので減光できるはずだが、減光されないまま、それぞれがそれぞれの格好で寝入っている。中には座席の下の床!で寝ている人も。。。^^;
途中車掌がクーラーのスイッチを切っていく。夜とは言え、さすがに窓の開かない車内で30人近くも人がいると途端にムシ暑くなってきた。-.-;
「このままじゃきついなぁ」とか思っていたら、乗客の1人が文句を言いに行ったらしく、再び車掌がやってきてクーラーを入れていった。再びちょっと肌寒くなるなる車内。。。なかなか難しいものだ。小山、宇都宮と記憶にあるが、そのまま寝てしまったようだ。黒磯の切換は 夢の中。。。
8/9
福島らしき所でちょっと(かなり?)停車してた様な気がするがはっきりしない。今度気がついたのは仙台だった。午前4時、さすがにまだ暗い。
仙台から仙山線に入る。県境の長いトンネルを抜けて山形側へ、山寺ではまだ撮影に足る明るさにならないうちに通過していった。8月では撮影は苦しいことがわかった。
急速に明け行く空の中を仙台出発時とは180度向きを換えて山形に到着。なんと、予想に反して向かいの女性は下車して行った。 山形から向きが変わる。今度は最後尾となって終点青森に向かうのだ。
すでに空は明るく、30分の時間の違いは大きい。2駅ほど折り返す形になり、先ほど走ってきた線路が右に別れていくと、いよいよ奥羽線で私が乗り残してきた線区に入る。
列車は早朝の田圃の中をこれまたゆっくりと走る。雨は降ってはいないが 天気もよいとは言えない感じだ。6時頃になってお早う放送が入り、車内も 起きだした乗客達で朝の雰囲気をかもしだしてきた。 その中でまだ寝ている洗面所端の2ボックスを利用している親子連れは片側 だけ座席を引き出して子供はベット代わりにしていた。厳密にはいけないのだが、まぁ、子供だけだし、車掌も見てみぬフリを決め込んでいる。
停車駅ごとにだんだん人が減って、クーラーの効きもさらに強くなってきた ので、車掌が時々切ったり、入れたり。。。結構大変そうだ。
ふと車内に漂うタバコの臭い。そう、禁煙車ではあるものの、窓の下には灰皿があるので、ついタバコを吸ってしまうのだろう。しかし禁煙車なのである。「禁煙車ですよ」と注意を促す。
この光景は後に終点までに私が1回と別の人がもう1回の3回繰り返された。-.-; 同じく禁煙車の8号車と9号車の間のデッキでも吸う光景は見られたが、タバコを吸うなとは言わないから、なぜに堂々と吸える喫煙車(というものはない)に乗車しないのだろうか?タバコの煙を嫌うから禁煙車に乗るわけで そこでタバコの臭いをかがされるのは本当に勘弁して欲しい。-.-;;;
「能登」でもそうだが、夜行列車の禁煙車でついタバコを吸う喫煙者は後を絶たないのはなぜだろうか?
列車は内陸部の各駅にこまめに停車し、また、単線故の対向行き違いで停車もある。
さて、問題の朝食であるが、横手で5分、大曲で8分の停車があり、弁当は無理にしてもパンや飲み物類は入手可能な様である。(私は撮影に時間を使ったので大曲でなんとか飲料を入手するにとどまったが)また、事前に車内アナウンスでも秋田の2分停車時に駅弁売りが6号車付近で売るとの情報があり、一応朝食の入手は可能な様である。
大曲で盛岡からの秋田新幹線(田沢湖線)が合流。これで奥羽本線も3回に わけてだが完乗となった。このまま青森まで行くので、在来部分は今回全て乗ることになるのだが。。。
大曲を出てすぐ「こまち22号」とすれ違う。大曲を出て川を渡る橋の上でのことだった。今回はかなわないが、583がなくなる前に、「こまち」とのすれ違いを撮りたいものだ。車内アナウンスでは忘れられかけた臨時の「こまち22号」であったが、定期の「こまち12号」とは羽後境到着前に擦れ違った。刈和野では「こまくさ6号」と、なんとこちらが進行右側ですれ違った。
羽後境では各駅停車とのすれちがいでなんと14分の長停、臨時とは言えスジはあまりよろしくないと思う。
やがて左手にこまちなどが並ぶ南秋田運転所を見えてくると左手から新潟からの羽越本線が合流してきて秋田に到着である。 秋田では1つ気にかけてたことがある。それは、大阪からの臨時急行「あお もり」と並ぶことになるからである。シュプール色と呼ばれる塗色に塗り換えられてしまったが、東西の583系がうまくすれば並ぶはず、だった。しかし、あちらは2番線、こちらは6番線と大きく離れて停まることになり、残念ながら並びを撮ることはできなかった。あとは青森での並びである。
ちなみにこちらは9:15に出発して12:15に青森に着くが、むこうは9:23に発車しても時間待ちの関係で青森には12:50と27分も水をあけられることになる。
秋田を出てしばらく走ると土崎を通過する。ここには583系などを検査する土崎工場があるはずだが、青森方向左手に引込線らしきものがあるだけで工場がどこにあるかは確認できなかった。そろそろ秋田を「あおもり」も出発した頃であろう。
広大な八郎潟に続く田圃の中を583系電車は走る。緑一色である。やがて東能代に到着。構内にはターンテーブルがあって、ここから別れる五能線にかつて運転されていた「ノスタルジックビュートレイン」の黄色と茶色の50系のうち展望車を除く車両がDE10と共に解体待ちなのか留置されていた。 その五能線、途中で買ったマンガ雑誌YOUNG ANIMALに連載されている「たび鉄友の会」にちょうど出てくる。先ほどの「ノスビュー」の後を継いだ「リゾートしらかみ」が運転されていて、ストーリーの中に出てくる。この五能線、海岸沿いに風光明美な所が有名でファンも多く、私も未だ乗車していないので誘惑を押さえるのに必死であった。^^; しかし、五能線を回るとまる1日食われてしまい、肝心の583系の調査ができなくなるので思いとどまったのでした。
さて、その583系の調査であるが、このまま青森まで行くと1運用だけ青森で確認ができない。これが前日調査済みなら良いのだが。また、今回奥羽線を除けば乗り鉄の予定がないのも落ち着かない所である。なにせ退屈な「津軽」の車内、時刻表でこれからの乗換駅から接続を眺めては乗り換えを考えてしまいたくなるのである。
運が悪いことに?大館で花輪線に乗り換えると盛岡に14時半に着けて青森で確認できない編成の調査ができてしまうのである。かなり誘惑にかられたのだが、もし確認済みの編成ならつまらないし、青森での並びも逆に確認できない。せっかくだから「津軽」全区間乗車もしたい。それより悪天候故、もし山越えのローカル線が雨で止まったら目もあてられないとのことで、そのまま青森まで向かうことにした。この決断が。。。
大館の構内には先ほどの「ノスビュー」色のDE10が塗色はそのままに別の任務についていた。
その大館を過ぎ、有名な白沢〜陣場の撮影地を通過する。なんとここからは複線区間になっている。さっきまでの単線区間でEF81牽引のコンテナ貨物と交換待ちしていたのだが。。。
さて、白沢を過ぎ、上下線が別れていく。こちらはそのままトンネルへ、、、 トンネルを出て左にカーブすると、先ほど別れた上り線が寄り添って来て、その上に道が。。。きっとあそこがお立ち台なのであろう。 上野から長らく一緒だった隣の男性も碇ケ関で下車していき、車内は数名を数える様になった。583系は山間を走り抜けつつ最後のスパートをかける。長かった旅も終着青森が近くなると名残り惜しくなってくる。 弘前をでて川部で再び五能線と合流、旧国鉄黒石線が引き継がれた弘南鉄道が広大なヤード跡と対照的な小さなホームの片隅からでているはずだが、列車の姿はなかった。今回弘南鉄道には嫌われたようで、大鰐温泉で旧東急の6000と7000をチラと見ただけで有名な旧形電車には会えなかった。 新青森を過ぎ、左にカーブし始めると最後の車内アナウンスが始まる。左手を函館に向かう海峡線の青い50系が擦れ違い、やがて左前方に駅が見えると終着青森である。
2番線に盛岡に回送される臨時「はつかり」の583系と肩を並べるように3番線に到着。
12時15分、13時間41分におよぶ808.4kmの旅は終わった。
(1997年8月8〜9日 記:たいちょ〜)