自宅への長い道のり

1/4(SUN)

さて、いよいよ藤沢に帰らなければいけない日が来た。長い冬休みも終わり である。(実はもう1日あるのだが)
休みの関係で今日の新幹線はUターン客でごった返していることだろう。 昨日から始まっているとTVのニュースが伝えているが。
まぁ、気楽に在来で帰ればいいさと思い、11:07発の新快速草津行に乗る。 やってきたのは223-1000だが、乗ったのはサハであった。
さて、実はすでに心に決めていることがあった。それは、向日町(現京都 総合車両)所に「きたぐに」のB6編成(この時期ほとんど「きたぐに」に はB5/B6が限定で使用されている)がいて、今晩B6ならば、それを確認し て「出雲2号」で帰ろうということである。「出雲2号」は今年半ばにでも 新型寝台電車化が予定されており、この列車に組み込まれている「シングル ツイン」などの個室は「トワイライトEXP.」の他はこの列車でしか乗れな いので、できれば乗っておきたかったからだ。もしB5なら、米原から名古 屋まで立っても新幹線を使い、豊橋で豊橋鉄道に乗ろうとか考えてもいた。^^;
大阪を出て高槻を過ぎ、長岡京を出ると右手に見えてくる京都所の留置線、 西留にはB4が「きたぐに」の幕を掲示して留置、そして、洗浄線には「き たぐに 新潟」の幕を掲示して整備中の。。。
下り向きに久々に見るクハネ583-27!、そう、B6編成の姿であった。


さらに東着発の脇には編成から外されて寝ているB2編成の3両の姿も見え た。


即座に京都で途中下車、みどりの窓口へ行って今晩の「出雲2号」の寝台 の確保である。あいにくシングルツインは満席で、禁煙ハネもなし、喫煙 ながら最後の1枚のハネを入手することになった。(8号車15番上段)
さらに大阪まで戻ることも含めてこれからの足代として、18きっぷの購入 も考えたが、結局切符付CD-ROMをまた買うことに。
4000円は安くはないが、CD-ROM付きだし、悪くもない。
さて、ここでちょっと小休止、新装なった京都駅烏丸口のコスモポリタン? ビルをちょっと用足しに使う。しかし、この1Fの中央口から左右に伸びる エスカレーターと、鎌田行進曲でもやりたいのか大階段は、人の流れとして は集中してしまい、動線処理としては大失敗に思える。自由通路にも改札は あるが、伊勢丹の中もわかりにくく、大階段ありきで作った様にしか見えな かった。
途中吹き抜けから大階段への境の踊り場で吉本の新春講演として二丁拳銃が 漫才をやっていた。
用を済ませて後、駅弁を買って奈良線ホームに向かう。
奈良線ホームには、なんと9番に湘南色の113系、8番にはウグイス(関西 色)の103系が停まっていて、前者が13:08発の奈良行、後者が13:20発の 宇治行となっていた。
いつの間に奈良線に113が?と思いつつ113に乗り込む。ポケット時刻表で は13:17発の奈良行となっているのにこれはどうしたことか?と思ったら、 欄外に1/1〜4は特別ダイヤとなり、時刻が大幅に変わることがあります。 と書かれている。そう、伏見稲荷への参拝輸送の為なのであった。
113系の所属は京都所、車内の案内図などを見ると本来なら山陰線用なので あるが、この4日間は大幅に車両の運用を転配して、運用されていたようだ。 しかしながら、増発した関係か、待ち合わせの停車も多く、結局奈良に着いた 時には13:17発と変わらない時刻となっていた。つまり、いつもより9分も遅 かったということである。それにまたしても117系の快速に乗れなかった。
奈良から先、和歌山線に乗るには、桜井経由と、王子まで関西本線、高田まで 和歌山線で行ってそのまま和歌山行に乗るのと2通りある。
前回は桜井線 に乗ってそのまま王子まで出て天王寺へ抜けたので、今度は王子経由で和歌山 線に乗ろうと考えていたら、なんと奈良から直通の和歌山行であった。
最初はそうしようかと思ったが、ホームにいるのは105系の2連、トイレなし である。高田までの40分強をなしで過ごし、それから2時間さらになしで過ご すのはつらいので、最初の予定どおり王子経由で先回りすることにした。
発車時刻も同発らしい。
ところが、加茂からの大和路快速の到着が遅れ、さらに前に2連を増結するの で、こちらの発車が遅れ、その間に和歌山行が発車してしまう。
こちらは増結して先頭の車に乗車。3番で待避しているうちにそちらでも乗客 を乗せていたらしく、すでに先客が乗車していた。
構内を抜けて左に別れていく105系を見ながらやっとこちらも発車、グングン 加速していくが、さすがにあけられた差を詰めることはできなかった。 しかし、 関西本線を疾走する221は新快速と同じくすばらしい。10分ほどで 王子到着。
王子で105系に乗り換えて高田までいくのだろうと、4,5番ホームを見るが105 の姿はなく、案内を見るとなんと1番から発車とのこと。前回からさらにダイ ヤが変わって、デイタイムは221系の区間快速が高田まで直通しているのだっ た。なんというサービス向上であろうか。
というわけでまたしても (予想外の)221系で高田に到着。


高田で先程奈良で見送った105系の到着を待つ。変な感じである。やがて2番 に到着。ここで方向を反転して和歌山まで向かうのだ。


221系と105系の並び、しかも高田駅で。


ロングシートに7割ほど乗せて和歌山行が出発、大きく右にカーブして桜井線 と別れる。
御所をごせと読むことを知り、やがて左手正面に山が迫ってきたかと思うと一 度寄り添った近鉄南大阪線が別れて町並みに入り、再び合流してほどなく吉野 口、ホーム向かい側は近鉄のホームで、阿部野橋行の急行が到着。
相互に客が入れ替わると向こうに続いてこちらも発車となる。接続を取ってい るような感じであった。
残念ながら吉野行の急行はおいてけぼりで、こっちが先行する。国鉄より狭い 車幅で標準軌の近鉄車は、台車枠が車幅一杯の印象を受けるが、ここ、南大阪 線は国鉄(JR)と同じ1067mmの狭軌ゆえ、1段引っ込んで見えるのが特徴 と言えようか。
吉野口を出ると峠越えであろうか、結構な上り勾配となり、MT55の響きも大 きくなる。一度左にカーブして別れていったはずの南大阪線が、山の脇にへば りつくように再び左手に見える頃には、向こうも結構な登りらしく、こちらと は結構な高低差がついていた。そして再び山奥へ消えるかのように別れていっ た。終点吉野から先、静御前が身を隠した吉野山へ続いているのだ。今度はあ ちらに乗りに行こうと思う。
さて、こちらは左右に身をくねりながら坂を登り、北宇智へ。場内信号が右へ 開いているな、めずらしいなと思ったら、停車後、スルスルとバックした。
そう、スイッチバック駅だったのである。客扱いの後今度は左へ進み、先程の 引き上げ線を右に見ながら進む。引き上げの終端付近では少なからず高低差が ついていた。
五条を出、和歌山県に入ると橋本、時間的には高田と和歌山のほぼ中間である。
五条といい、橋本といい、古き国鉄の色がまだ残っている懐かしい駅のたたず まいである。


橋本では南海高野線と出会う。そして名高い高野山を左に見ながら進む。京都 から奈良、そして和歌山と、日本の歴史を眺める車窓である。
105系のワンマン運転は吉野口から橋本だけの一部区間、しかも実際はツーマ ン運転だった。それでは意味がないような。。。一応全区間用意されてはいる のだが。。。
あとは和歌山まで川沿いを進みながらの車窓となる。国道24号線と並走するこ の辺りはかつて和歌山港にフェリーで着いて帰りに通った道で、なつかしさを 感じる。
暮色も濃くなり、だんだん薄暗くなりつつ風景の中をひたすら列車は走る。
乗客は和歌山に向けてまた少しづつ増えてきた。
ついに暗闇となり、終点和歌山も直前となった所で、最近誕生となった和歌山 区を過ぎる。105系の現在の配置区である。かつては奈良電車区に配置で、奈 良線に主として配置されたこの車も103系に玉突きされる形で桜井、和歌山線 が主となり、さらに今度は紀勢本線に165の一部置き換えで進出するそうだ。
逆に言えば103,221の進出でローカルに追いやられている不遇な身の上でもあ ると思う。
大きく左にカーブして阪和線と合流すると和歌山着。2分接続の紀勢本線和歌 山市行はというと。。。ホーム向かい側であった。
紀勢本線の支線とも言える、和歌山〜和歌山市間は和歌山線とは阪和線を挟ん で反対側に分岐していく形になる。それが同じホームの反対側となると、阪和 線をポイントで渡っていくのかしらんと思ったら、左手には阪和線の103系が 同時出発、「え?このままだと渡れないじゃない」と思ったら、阪和線は登り 勾配となり、こちらは一度右に別れた後、左に曲がって阪和線の下をくぐる形 で海側にでた。なんだ、そういうことだったのか。
後で時刻表を見たら詳細図ではそうなっていた。^^;
紀和を出ると右手に線路が近づいてくる。踏切の開通を示す信号などが違うの で南海電鉄の線路だと知れる。しばらく進むと終点和歌山市である。南海電鉄 の駅の片隅に間借りするような形で入り込む。駅業務は南海電鉄であり、JRが 南海の駅に乗り入れているというのが受ける印象であった。
最初はそのまま折り返して阪和線で大阪に向かう予定だったが、せっかくだ から南海にも乗ってみようかと思い、隣に到着した急行の車掌さんに難波ま でいくらか尋ねる。「890円です」との答え。1000円は超えるだろうと思っ ていたので思わずあ、安いかもと感じてしまった。これで決まりである。
小用をすませ^^; 時間ぎりぎりになって急行難波行に乗る。7000系の6連、 本当は「サザン」指定席に乗ろうかと思っていたのだが、いい時間に列車が ないのであきらめる。


先頭車助手席側のかぶりつき席はすでに埋まっている、残念。ドアをはさん でさらに2人ほど後側にやっと空きがあって座る。この当たり1家族7人ほ どで占められていたのだった。
発車してドアが閉まるとほどなく向かい側の席の下あたりからカタカタ音が 聞こえる。どうも電動カムのスイッチ音が聞こえてくるようだ。VVVFサウン ドは最近よく聞くが、制御器の電動カムのスイッチ音を聞いたのは初めての 経験だと思う。よって、運転士のマスコンの操作具合が見なくてもわかって しまう。面白いのは電制時に速度に応じて回路の切り替わりもなされている ことがわかることだ。7000系自体は特に南海車の中でも興味がなくて失敗だ と思っていたのに、意外な収穫だった。
列車は暗やみの中をそこそこの速度で走っていく、途中ノッチオフから再力 行もカムの音でわかるのが面白い。泉佐野に近づくだいぶ前から関空を結ぶ 連絡橋の明かりが夜空の角に見えてくることだ。
南海でも途中追い抜かれる各駅停車(列車)のことを普通車と呼んでいるの が、山電に続いて気がついた耳新しい語句だった。関西の他の私鉄でもそう だったっけ?
やがて先程見えた連絡橋から続く道路橋の灯火が連なる下を抜けた所で左か ら線路が合流してきて泉佐野である。
泉佐野を過ぎ、貝塚の1つ手前、二色浜駅の近くに、583系のサシ、サロを 利用した食堂?があるはずなのだが、夜の車内からは浜辺も認識できずに通 過していく。
泉大津では特急ラピートの通過待ちをする。鉄人28号の俗称も持つ紺の連絡 特急が通過する。JRの「はるか」と同じく室内が白熱電球色の暖かみを持つ 照明であったのは意外であった。
堺では多くの乗客があり、結構立ち客も出た。
気がつくと複々線となっており、やがて今宮、そして難波に到着。1時間強 で大阪ミナミにたどりついた。


さて、ここから目指すは近鉄難波である。名古屋から近鉄で来るとどうして も鶴橋で大阪環状線に乗り換えてしまい、その先の上本町や難波へ来ること はなかった。そこで今回を幸いに鶴橋まで近鉄で出てしまおうと思ったので ある。しかし、なんなんタウンってなんなん?はなんなん。。。^^;
近鉄難波は万博に合わせて延長した地下駅で、名古屋、伊勢志摩への直通特 急と奈良線のローカルが乗り入れる。扱いは奈良線で、大阪線は上本町が終 点である。すでに満席の名古屋行ノンストップを横目に奈良線の列車に乗る。
日本橋に停まって上本町へ。ここで列車を降りる。あくまで上本町まで乗っ てきたのは奈良線なのである。
ここから1階の地上ホームに出る。地下のホームと比べて地上の頭端式の広 大なホームは、関西私鉄の優雅さを感じる部分で名古屋といい、好きな情景 である。南海といい、近鉄といい、阪急といい、関西私鉄のターミナルはな んと魅力的なのであろうか。


ここでわざわざ大阪線の列車に乗り換えたのはもう1つ理由があり、大阪線 に乗るのはあくまでここであって、地下線とは別だからである。実際、ここ から布施までは複々線となっており、大阪線の乗り潰しをするにはここから でないと気が済まない。そんな小さなこだわりでもあった。
快速急行で1駅、鶴橋に到着して近鉄大阪線の完乗となった。
鶴橋からは環状線の103系で大阪へ。京都からの壮大な迂回乗車の終了であっ た。
大阪で夕食を取り、「きたぐに」までの時間潰しを考える。
で、寒いので近場で温泉がなかったかと考えて、宝塚には温泉があったはず だと思い、「シュプール白馬・栂池5号」の回送のキハ181系を撮って、20 時10分発の快速福知山行に乗る。
編成は113系で、クモハ112-800が入っていることもあり、先頭車が連続 している。途中篠山口で後ろを切り離すらしい。
尼崎を出て、付替られた下り線の鉄橋を渡って右へ東海道をオーバークロス する。旧線以来の乗車である。
塚口では電留線があり、青色の201や207が並んでいるが、東西線開通でそ れまで色別に分離されていた系統がごちゃまぜになって、福知山線で青の201 を見るのは変な感じである。東西乗り入れとあわせ、誤乗も多いらしいので、 なんらかの対策が必要かと思った。
その201であるが、東海道区間では黄色の福知山線と合わせて行先が表示さ れている様だが、福知山線に入るとわざわざ幕を操作して単なる行先だけに している様だ。芸が細かいというか、別のことを考えんか?というか。。。
わずか24分で宝塚に到着。かつてはローカル色が強かったが、近郊路線への 脱色と共に、サービスがかなり改善された様だ。阪急との競争の効果だろう か?
しかし、宝塚にはめざす温泉の姿はなく。。。そういやあったのは阪急今津 線、宝塚南口だったかも。。。^^;
時間に余裕もないので、温泉巡りは空振りに終わることになった。^^;
宝塚で30分弱暇を潰し、大阪へ折り返す。東西線直通の207系快速もあるこ とを知り、そちらも考えたが、21時01分発の快速の並び位置は207でないこ とを示している。117系の可能性を期待してそちらにすることにした。113 だったら悲しいが。。。
20時54分発の快速奈良行が出ていった後、やってきたのは。。。117系であっ た。JR東海では快速に乗ればほぼ間違いなく乗れる117系も、本家新快速か らはほぼ撤退、福知山と奈良線に流れたものの、なかなか乗る機会がなく、 乗っても当たらない不運が続いていたので、久々に乗りたかったのでした。
ただ、300番代への改造で、ドア間のクロスが5つに減らされてロングシー トに換えられているのは哀れであった。JR海は逆に車端部側のクロスをロン グにしているので、まだ救われるのだが。。。
行きと同じくあっという間に大阪着、9番に到着し、降車が終了するとまも なく、宮原区に引き上げていった。


さて、まだ「きたぐに」の入線まで1時間40分もある。「シュプール号」の 運転も年末ほどには多くない。と思っていると11番に「エーデル鳥取」が入 線してくる。特急でありながら車両はキハ65を固定窓、回転リクライニング に一新し、一部ハイデッキ展望席にして特急に格上げしたものである。しか し、いくら車内を換えたからって、ハイデッキ付けたから特急ってのはねぇ と思う。アコモは181系よりは上かもしれないが、造りが違うからねぇ。


やがて発車していくと間もなく、10番線に湘南色の車両が入線してきた。
165系の「ちくま・くろよん81号」である。高槻の167系から日根野の165 系に代わったと聞いていたが、本当だった。クモハ165の公式側前位戸袋窓は 埋められて、ATS-P型受信機が置かれた様である。


165系による急行が激減している昨今、167系が置き換えられたのは残念なが ら、原色の165系急行を見ることができるのも、貴重なんだろうなと思う。
さらにこの列車が発車すると、「シュプール妙高・志賀3号」が11番線に、 これからしばらくは「シュプール」も含めて急行列車の銀座通りと化す。それ でも今日は少ない方なのであるが。


10番線から「銀河」が出ていった後、キハ181系の「シュプール白馬・栂池」 号が2本出ていって、ひと区切りである。あとは「きたぐに」を残すのみ。


その間に1番線からは「銀河」とこの列車だけになってしまった客車急行 の「だいせん」が出ていく。座席+寝台混成の客車急行は「だいせん」だけ である。


さて、「だいせん」までの間にお土産も買い、10番ホームに上がって「きた ぐに」の入線を待つ。場合によっては西留に待機していたB4の可能性もある のだが、その時は不運と思って諦めよう。
23時発の新快速が出ていった後、塚本側から入線してくる3条の光、はたし てやってきたのは、待望のB6でした。


編成をつぶさに調査し、撮影して8番線へ、23時20分発大阪始発の新快速に 乗る。そう、この列車も117系で残る数少ない列車の1つである。
昔ながらの117系のままの車内に浸りつつ、京都に向かう。今や221系による 120km/h運転が常となった新快速では、117系には荷が重く(いや、室内は ガラガラであったが)、さすがに到達時分が221系に比べると1分ほど遅くなっ ている。
ほとんど全力で走り、途中内側線を走る221系快速を長岡京の先でブチ抜くと、 23時50分に無事京都駅2番線に到着した。これで1日フリー券の役目は終っ た。
改装なった京都駅の多くの部分は、気に入らない部分も多いのだが、中央通 路を1番線に下りる階段部分では、ふと足が止まった。


階段の屋根の部分が撤去されて、階段から1番線に停車中の「出雲2号」が 見えるのだが、ちょうど2階建て個室車が停車していて、照明に照らされた 風景は幻想的でもあった。この階段から見下ろす夜の構内は悪くないかもと 思った。すかさずDVで撮影、雰囲気を出しきれてないのが残念でもある。こ の風景は間もなく見られなくなってしまうのだ。(電車化された後の「出雲」 ・「瀬戸」のスジだと京都は通過であろう)


さて、いよいよ「出雲2号」で今度こそ家に帰る。8号車に乗り込み、15番 上段は。。。本当に最後だったなと感じるカド部屋であった。^^;


やがて、発車、出発の起動はさすがにうまく、ショックも少なかった。これ で衝撃で悩まされることもなく寝られそうだ。
上に上がって寝台を整えるまもなく、車掌の検札を受ける。これで後は寝る だけだ。
と思ったが、実は眠りを妨げられ、悩まされることにあった。言うまでもな い、煙草の煙である。
最後の1枚だから、喫煙車もやむなしと思ってはいたので、仕方ないのだが、 深夜の乗車で明け方下りれば大丈夫だろうと思っていたのだが、まさか1晩 中誰かが吸っているとは思わなかった。寝たんだか眠れなかったんだかわか らない状態のまま、時は過ぎ、やがて熱海停車の時間が迫ってきたので起き ることにする。やっぱり喫煙車は可能なかぎり避けることにしようと思った。
まだ明けやらぬ闇の中、列車は熱海に到着、ホームに降り立つ。さすがに寒 い。
運転士(機関士)が交代して発車、気がつくと11両に増結されていて、11, 10,8号車とスハネフ14が連なっている。


金帯の個室車が通過して、やがて最後尾のスハネフ14の赤いテールサインが 早朝の闇の中に消えて、「出雲2号」は東京へと走り去っていった。


沼津からの東京行の電車を待つうち、「銀河」が到着。そう、一度は大阪で 見送った列車である。途中「出雲2号」だけが「銀河」を抜いていくのであ る。
「銀河」が出た後、東京行が入線。211系の15連で、ボックスクロスシート 車であった。
熱海を出て、半分うつらうつらしながら乗っていると、小田原を出た頃から 車内はどんどん人が乗り込んで混んでくる様になった。今日はすでに月曜日、 初出勤も多いのであろう。
通勤列車と変化した列車は、6時21分、藤沢に到着。明石をでてから19時間 あまり、長い自宅への戻り旅は終わった。
小田急に乗り換えて家に着いたのは7時過ぎ、風呂に入って冷えた体を暖めて 残り1日の休息の日を味わった。明日からは会社が始まる。

                   (1998年1月4〜5日 記:たいちょ〜)


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