581/583系を使用した列車について(東北・常磐路編)


 「はつかり」(9001M/9002M 上野〜青森(常磐線経由))1968.9.9〜1968.9.30

       (1M/2M(2/1号)上野〜青森)1968.10.1〜1970.9.30
       (2021M/2022M(1/2号)上野〜青森)1968.10.1〜1970.9.30

       (1M/2M(3/1号)上野〜青森)1970.10.1〜1973.9.30
       (2021M/2022M(1/2号)上野〜青森)1970.10.1〜1972.3.14
       (21M/22M(1/2号)上野〜青森)1972.3.15〜1973.9.30
       (2023M/2024M(2/3号)上野〜青森)1970.10.1〜1972.3.14
       (23M/24M(2/3号)東京〜青森)1972.3.15〜1973.3.31
       (23M/24M(2/3号)上野〜青森)1973.4.1〜1973.9.30

       (1M/2M(5/1号)上野〜青森)1973.10.1〜1978.10.1
       (21M/24M(1/3号)上野〜青森)1973.10.1〜1978.10.1
       (25M/28M(3/5号)上野〜青森)1973.10.1〜1978.10.1

       (21M/22M(1/4号)上野〜青森)1978.10.2〜1982.11.14
       (25M/24M(5/6号)上野〜青森)1978.10.2〜1982.11.14
       (27M/30M(7/12号)上野〜青森)1978.10.2〜1982.11.14

       (1011M/1010M(11/10号)盛岡〜青森)1982.11.15〜1985.3.13
       (1021M/1020M(21/20号)盛岡〜青森)1982.11.15〜1985.3.13

       (1007M/1002M(7/2号)盛岡〜青森)1985.3.14〜1986.10.31
       (1009M/1006M(9/6号)盛岡〜青森)1985.3.14〜1986.10.31
       (1011M/1010M(11/10号)盛岡〜青森)1985.3.14〜1986.10.31
       (1015M/1014M(15/14号)盛岡〜青森)1985.3.14〜1986.10.31
       (1023M/1018M(23/18号)盛岡〜青森)1985.3.14〜1986.10.31

       (1003M/1002M(3/2号)盛岡〜青森)1986.11.1〜1988.3.12
       (1001M/1002M(1/2号)盛岡〜青森)1988.3.13〜1990.3.9
       (1003M/1004M(3/4号)盛岡〜青森)1990.3.10〜1992.6.30

       (1011M/1012M(11/12号)盛岡〜青森)1986.11.1〜1993.12.2

       (1007M/1008M(7/8号)盛岡〜青森)1986.11.1〜1988.3.12
       (1013M/1014M(13/14号)盛岡〜青森)1988.3.13〜1993.12.2

       (1017M/1018M(17/18号)盛岡〜青森)1986.11.1〜1993.12.2

       (1027M/1022M(27/22号)盛岡〜青森)1986.11.1〜1988.3.12
       (1015M/1016M(15/16号)盛岡〜青森)1990.3.10〜1992.6.30

 東北地区における583系使用の初列車。東北線全線電化完成により、81系気動車に よる常磐線経由の列車から、東北線経由の電車列車となり、583系に置き換えられた。 編成は西日本とは異なるTncTsM'nMnM'nMnTdM'nMnM'nMnTnTncの8M5Tによる13連と、編 成あたりの出力は勾配区間を考慮して強化された。実際には改正に伴う転配と、改造 等の関係により、改正より前の9月9日から、常磐線経由のままいち早く置き換えら れ、足慣らしも兼ねて営業運転開始となった。改正からは東北ルートとなり2往復に 増発されて、夜行の「はくつる」「ゆうづる」と共に583系の本領発揮となった。S45 年10月改正で3往復に増発、この頃から先頭車が慢性的な混雑を解消するために将来 15連化を想定してサービス電源のMGの出力が150kVAのクハネ581から210kVAに強化され、 床下装架として定員も8名(寝台時6名)増加したクハネ583に置き換えられ、クハネ 581は西日本に集中させられた。S47年3月改正では1往復が東京発着となったが、新 幹線工事によりわずか1年で再び上野発着に戻された。S48年10月改正ではさらに2往 復が増発されたが、485系により増発されたので、583系の担当は3往復のままとなった。 その後S53年10月改正で1往復が485系で増発されたものの、583系の体制には栄光の1M/ 2Mの座を485系に譲った他に影響はなく、翌S54年10月に485系とサロの連結位置を合わ せるべく、TncM'nMnM'nMnTsTdM'nMnM'nMnTnTncとなる。S57年6月の東北新幹線の開業 に続く11月の上越新幹線開業に合わせた本格的な改正により、「はつかり」は盛岡〜青 森間の新幹線アクセス列車となり、583系はそのうち2往復を受け持つ形となった。S60 年3月改正で担当は5往復に増えるものの、編成から食堂車が消え、さらにモハネユニッ トとサハネを需要に合わせて増結するTncM'nMnM'nMnTsM'nMn(M'nMnTn)Tncの基本9連増 結時12連の編成に変更された。国鉄からJRに移行した翌年の青函トンネル開通に伴う海 峡線の開業により、一時4往復に減ったもののH2年3月改正で再び5往復に戻るが、4 人掛けクロスのアコモデーションはすでに時代遅れとなり、H4年7月の山形新幹線開業 により余裕の出てきた485系に2往復を譲り、さらにH5年12月改正で「ゆうづる」「津 軽」の廃止と共に485系電車にバトンを渡して消えることになった。しかし、季節臨時 の「はつかり」に主力となって運用に入ったり、485系の検修に伴う代行としても未だ 元気な姿で健在である。

 「はくつる」(5M/6M 上野〜青森)1968.9.30〜1982.11.13

       (21M/22M(1/2号)上野〜青森)1982.11.14〜1985.3.13
       (23M/24M(3/4号)上野〜青森)1982.11.14〜1985.3.13

       (11M/14M(1/4号)上野〜青森)1985.3.13〜1988.3.13
       (6013M/6012M(3/2号)上野〜青森)1985.3.13〜1988.3.13

        (11M/12M 上野〜青森)1988.3.13〜1993.12.2

       (11M/12M(1/2号)上野〜青森)1993.12.2〜1994.12.3
       (13M/14M(3/4号)上野〜青森)1993.12.2〜1994.12.3

 「ゆうづる」と共に、S43年10月の全線電化開業と共に20系からバトンを受けて登場し た。以来東北新幹線開業まで1往復の弧塁を守り、開業によって初めて2往復となった。 S60年3月改正で1往復が季節列車化され、さらに青函トンネル開通に伴い、新しく登場 した札幌直通の「北斗星」にスジを譲って再び1往復となった。H3年には成田空港第2 ビルの開業により、春と夏の多客期の延べ11日間「ウィングはくつる」号として上りの み上野着を大宮から貨物線経由で新宿〜御茶ノ水〜錦糸町〜千葉〜成田経由で成田空港 まで運転されたが、この時限りで終了となった。H5年12月改正で「ゆうづる」廃止によ りまた2往復となり、東日本唯一の定期運用となった。この時1両が定期「津軽」「八 甲田」の季節列車化に伴う座席需要の対策として指定座席車として運転された。しかし 、わずか1年後のH6年12月改正で1往復に減らされると共に24系客車に置き換えられて、 583系定期列車の運用は西日本より先に失うこととなった。「ゆうづる」から引き継ぐ形 となった季節臨時の 「はくつる81/82号」 としての運用は今も続いている。

 「ゆうづる」(3M/4M(1/2号)上野〜青森(常磐経由))1968.9.30〜1972.3.14
       (2025M/2026M(2/3号)上野〜青森(常磐経由))1970.9.30〜1972.3.14

       (13M/14M(2号)上野〜青森(常磐経由))1972.3.14〜1972.10.1
       (15M/16M(3/4号)上野〜青森(常磐経由))1972.3.14〜1972.10.1
       (5013M/5014M(1/3号)上野〜青森(常磐経由))1972.3.14〜1972.10.1

       (13M/14M(2/3号)上野〜青森(常磐経由))1972.10.1〜1975.3.9
       (15M/16M(3/5号)上野〜青森(常磐経由))1972.10.1〜1975.3.9
       (5013M/5014M(1/4号)上野〜青森(常磐経由))1972.10.1〜1975.3.9

       (13M/14M(2/5号)上野〜青森(常磐経由))1975.3.9〜1978.10.1
       (15M/16M(3/7号)上野〜青森(常磐経由))1975.3.9〜1978.10.1
       (5013M/5014M(1/6号)上野〜青森(常磐経由))1975.3.9〜1978.10.1

       (13M/16M(3/14号)上野〜青森(常磐経由))1978.10.1〜1980.9.30
       (6013M/6016M(3/14号)上野〜青森(常磐経由))1980.9.30〜1982.11.14
       (15M/14M(5/10号)上野〜青森(常磐経由))1978.10.1〜1982.11.14
       (5013M/5014M(1/12号)上野〜青森(常磐経由))1978.10.1〜1982.11.14

       (1M/6M(1/6号)上野〜青森(常磐経由))1982.11.14〜1988.3.12
       (5M/8M(5/8号)上野〜青森(常磐経由))1982.11.14〜1985.3.14
       (7003M/7010M(3/10号)上野〜青森(常磐経由))1982.11.14〜1985.3.14

       (6001M/6002M(1/2号)上野〜青森(常磐経由))1988.3.12〜1993.12.2
       (3M/4M(3/4号)上野〜青森(常磐経由))1988.3.12〜1993.12.2

 S43年10月の全線電化開業時に新しく登場した583系で1往復が増発され、20系と合わ せて2往復となった。以降、583系1往復のみの「はくつる」に対し、こちらはS45年10 月に3往復に(583系2往復)、S47年3月には4往復(583系3往復)と増加の一歩をた どり、S47年10月改正では20系で1往復が増発された。S50年3月には東海道の24系化に より浮いた20系でさらに2往復が増発されて7往復とされた。583系は3往復と変わらな いものの、3/7号は全車座席(全指定席)のままと、583系の利点を活かして座席の需要 をカバーすることとなったが、翌51年10月改正では再びグリーン車を除いて寝台に戻さ れた。S55年10月改正で1往復が季節列車に格下げされ、東北/上越新幹線開業に伴う改 正ではそのまま残されたものの、上野延長によるS60年3月改正で583系は1往復に減ら された。JR化後翌年の青函トンネル開通に伴う海峡線開業により、「ゆうづる」は客車 を「北斗星」に譲り、「はくつる」はスジを譲ることになり、583系のスジは1本「はく つる」からコンバートされたものの、583系のみの2往復となってしまった。そしてH5年 12月改正で1往復が廃止、1往復は再び「はくつる」にコンバートされて「ゆうづる」 は全廃となった。583系による季節臨時が多客期に運転されたものの、「はくつる」が置 き換えられた改正以降、臨時列車も「はくつる(81/82号)」のみとなって設定がなく なってしまった。

 「ひばり」(1007M/1016M(4/8号)上野〜仙台)1972.3.15〜1973.9.30
      (1007M/1020M(4/10号)上野〜仙台)1973.10.1〜1978.9.30

 S47年3月に485系に混じり583系で1往復が増発された。これは上野口での昼間の間合 いを活かした583系の特徴を発揮したものであるが、北陸の「しらさぎ」と同様の手法で あった。しかしながら485系での増発が続く中、1978年10月改正で485系に置き換えられ て消えるのもまた「しらさぎ」と同じであったことは何か因縁めいたものを感じさせる。 この列車も改正を機に絵入りマークに替わる時期だった為に、消え去る列車ながら絵入 りマークが用意されていたのも注目すべき所であり、残念であった。

 「みちのく」(11M/12M 上野〜青森(常磐線経由))1972.3.15〜1982.11.14

 季節臨時としてS45年夏に登場した「とうほく」〜「はつかり51号」(常磐線経由)、 そして「常磐はつかり」と、人気が高かった為に、S47年3月改正でついに定期列車と なり、「みちのく」の愛称がつけられた。以降、S57年11月改正まで弧塁を守り、東北新 幹線の開業により廃止となった。

 「津軽」(401M/402M 上野〜青森(仙山・奥羽線経由))1990.9.1〜1992.6.30

     (401M/402M 上野〜青森(仙山・奥羽線経由))1993.10.1〜1993.12.2

 山形新幹線の工事に伴う区間運休により、機関車付替等の手間を軽減するため、客車 列車から583系に置き換えられた。同時に運転区間も工事で通れない福島〜山形間を仙台 経由で迂回するルートで運転された。これに伴い、上野と青森で編成の向きが逆転する ことになり、上野口で入れ替わる他の列車との共通運用となった為、ねぐらである青森 運転所では編成の向きが逆という珍しい現象となった。実際には同一編成では収容人数 が485系に比べて大差なかったので、山形新幹線の開業時に485系に置き換えられたが、 季節列車に格下げとなる直前の10月から485系を改造するために再び583系となり、有終 の美を飾った。この時から青森運転所入出庫の単独運用となり、上野口でのサロの位置 を合わせる為、連結位置を変更、TncM'nMnTsM'nMnM'nMnTncとなり、号車番号の振りも 逆の専用運用となった。以来季節列車となった後も583系で運転されているが、1997年 夏臨を最後に設定がなくなってしまった。

 939M/946M(青森〜蟹田)1988.3.14〜1989.3.10
 937M/944M(青森〜蟹田)1989.3.11〜1990.3.9

 臨時でない、定期列車として583系を使用した唯一の普通列車である。(「きたぐに」 の末端区間での快速運用はあるが、こちらは全区間普通列車としての運用である。)青 函トンネル開通に伴う海峡線の開業で、運用間合いとして1往復設定された。乗降に手 間どるなどあった為、再び「はつかり」に回されて、全国でも稀な583系による定期普通 列車は2年で幕を閉じた。

 「鳥海」(2041M/2042M 上野〜青森(上越線経由))1985.3〜1985.3.14

 「鳥海」はS57年11月改正で奥羽線経由の夜行急行の列車名を、上野〜青森(上越・ 羽越経由)の「いなほ」を改めるのに転用したもので、S60年3月の上野延長に伴う改 正で季節臨時列車に格下げされるまで運転された。本来は青森区の485系12連で運転さ れてきたが、改正直前に485系転配の関係で583系12連(サシ欠)で運転された。上越線 を583系が一時的なものとは言え、定期で運転されたのはこの時だけである。

(季節・臨時列車)

 「とうほく」(仙台〜青森)1970.8
 「はつかり51号」(上野〜青森(常磐線経由))1970.8
 「常磐はつかり」(上野〜青森(常磐線経由))1971年冬臨〜1972年冬臨

 S45年10月改正用早期落成車を使用して、まずは仙台で常磐線海水浴臨時急行列車と 接続するスジで仙台まで「とうほく」のスジが引かれ、海水浴臨時列車の設定がなく なったお盆にはそのあいたスジを使用して常磐線経由で上野まで延ばして運転したとい う苦肉の作の臨時列車である。この時はお互いの基地で編成をキャッチして対応すると いう583系ならではの効率的な運用でもあった。「はつかり」を名乗りながらも常磐線 経由としたため、日暮里〜岩沼間で東北経由の飛び込み乗客に泣かれるということもた びたびあった為、冬臨からは「常磐はつかり」という奇妙な列車名を名乗って運転され た。そしてS47年3月改正からは「みちのく」としてみごと定期列車に昇格というトン トン拍子に出世を遂げた列車であった。

 「オリンピア1号」(上野〜青森)1972.1.28〜1972.2.14

 S47年冬に札幌で開かれた冬期オリンピックに対する旅客波動に対して、上野〜青森 間に「オリンピア1号」、青函連絡船を挟んで連絡する函館〜札幌間に82系気動車によ る「オリンピア2号」が運転された。時間の関係もあって、下りは夜行、上りは昼行で 運転されたのも583系ならではの運用であった。

 「ひたち」(上野〜)

 西日本の「雷鳥」と同じく、多客期に485系に混じって583系で増発された。ただ、こ ちらはついに定期列車で運用が設定されることはなかった。国鉄時代に何度か設定され たものの、JRになってからは運転されたことはない。

 「ふるさと」(上野(上りは大宮止の場合あり)〜青森)1982.12.28〜1985.1.6

 同名の列車は西日本でも運転されたが、1982年11月の上越新幹線開業に伴う改正で、 昼間の列車がなくなった上野〜青森間に多客期に運転された臨時旧「はつかり」とい える。上野延長による利便性の改善で設定がなくなった。

 「エキスポライナー」(土浦〜万博中央)1985年万博開期中
 「エキスポドリーム」(土浦〜万博中央(上りのみ))1985年万博開期中

 1985年に筑波で開催された科学万博へ首都圏から乗客を輸送するために臨時快速と して「エキスポライナー」が、また、土浦で宿泊施設を提供するため列車ホテルとし て「エキスポドリーム」が設定された。「エキスポドリーム」号は土浦駅で乗客を載 せると電留線へ移動し、朝まで停泊、折り返して万博中央駅で降ろした後回送で引き あげるという方式で運転された。「エキスポライナー」には415系や455系、客車等が 総動員され、その中で583系も借り出されることになったが、なんと西日本の583系12連 1本も貸しだされ、運転されたのは注目に値する。西日本の車が上京することはたまに あるが、長期で運用に就いたのはこの時だけである。夏臨を前に返却され、再び東海道 を帰っていった。

 「シュプール蔵王」(品川〜山形)1986年冬臨
          (横浜〜山形)1987年冬臨〜1992年冬臨
          (横浜→山形)1993年冬臨
          (品川(上りは上野着)〜山形)1994年冬臨
          (品川→山形)1995年冬臨〜2000年冬臨

 東日本「シュプール」号の第1期生。当初品川発が1987年からは横浜発に延長され、 1989年〜1990年は583系で上野発が増発され2往復となった。1991年からは山形新幹線 工事により「津軽」と同じく仙山線経由となり583系使用は1本に戻された。山形新幹 線の開業の翌1993年には時間帯が新幹線とかちあう為、上り列車は回送扱いとなり、1994 年からは品川発に(上りは上野着)戻されると同時に仙山線回送時の行き違いの有効長 の関係で、583系最短の6連となった。上りが一時的に営業列車に復活するも、翌1995 年からは再び回送扱いとされた。年々その衰退には目を覆うものがあるが、583系使用 が定着しており、列車としては「アルペン」に変ることになっても運転は今後も続けら れると思われる。

 「アルペン蔵王」(品川→山形)2001年冬臨〜

 世紀も変った2001年冬臨から、タイアップによりこれまでの「シュプール」から 「アルペン」に変更されて登場した。列車としては品川発が1時間繰り上がったが、 「シュプール蔵王」そのままである。ヘッドサインは東日本の各列車共通デザインの ものが用意されたが、側面は「臨時」になってしまったのが寂しい所である。

 「シュプール上越」(大船〜小出)1987年冬臨〜1988年冬臨

          ((1/4号)上野〜小出)1993年冬臨
          ((2/3号)大船〜小出)1993年冬臨

          ((1/2(4)号)上野〜小出)1994年冬臨〜1998年冬臨

          ((1号)上野→小出)1999年冬臨

 「シュプール蔵王」の運転の翌年、前年165系と185系使用の快速から1往復が583系 9連使用の急行に格上げされ、2往復のうち1往復を担当する。寝台ではなく座席使用 の為、1989年から1992年までは185系で運転されて583系の設定はなかったが、1993年か ら再び1往復が583系に、もう一本も185系とのかけもちで583系で運転された。1994年 からはかけもちの1往復が「シュプール万座・草津」号と併結となり、185系で運転さ れることになったので1往復のみ上野〜小出間となって運転されていたが、1999年冬臨 からは上りの4号が廃止となり(回送列車)、下りだけの設定となった。「とき」の181 系で有名となった雪の上越線を行く583系は格好の被写体でもあったが、1999年冬臨を 最後に185系に置き換えられてしまったのは残念である。

 「シュプール盛岡」(横浜(上りは上野着)〜盛岡)1990年冬臨〜1993年冬臨

 JR東日本の「シュプール」シリーズの中では短命で、1990年から下りが金曜夜発、上 りが日曜夜着で1往復が583系で運転されたが、1993年を最後になくなってしまった。

 「シュプール猪苗代」(上野→会津若松)1999年冬臨

以前は勝田区の485系で運転されていた列車が、485系のE653系への置き換えにより583系 に変更されて登場することになった。下りのみ1本が蔵王と同じく6連で運転されてい る。しかし、発表された2000年シーズンでは設定がなく、わずか1シーズンの運転に終わっ てしまったようである。

 「あけぼの81/82号」(上野〜弘前(奥羽線経由))1988年春臨〜1990年夏臨
          (上野〜弘前(仙山・奥羽線経由))1991年冬臨〜1996年夏臨

 JR化後、操配用に引き続き配置された583系を使用して多客期に運転される。当初は 福島から奥羽線経由で、山形新幹線工事で通行できなくなった1991年の冬臨からは仙台 から仙山線、山形で折り返すという「津軽」と同じルートをたどって運転されていた。 (定期「あけぼの」は小牛田から陸羽東線経由)。片や座席で急行、こちらは寝台で 特急という不思議な現象であったが、乗客の減少により「津軽」に寝台車を設定する ことでなんと特急が急行に吸収されて設定がなくなってしまった。

 「夢の国メルヘン」(青森〜東京)1992.4.25,5.2(青森発)4.26,5.3(東京発)

 JR化後、余剰気味の583系を操配用として転用し、かなり設定されている団体臨時列車 としてTDL臨時列車(「わくわくディズニーランド(旧わくわくドリーム)」号)がある が、当初は「臨時」「団体」の幕での運転だったが、近年専用のヘッドマークを掲出す る位、583系としては準定期的な運用となっている。同じスジを使って1992年の春臨で運 転されたのがこの列車である。この時だけで団体ではなく一般臨時列車としての設定が ないのは残念である。この列車の運転により、武蔵野〜京葉線経由で東京まで運転され たのは特記に値する。

 「世界アルペン」(八戸(上りは青森着)〜雫石)1993.2.3〜1993.2.14

 雫石スキー場でワールドカップ大会が開催された関係で、乗客輸送の為に 7連で運転された。

 田沢湖花火臨時列車(新潟〜酒田)1994年夏〜1995年夏

 団臨で入線して以来、田沢湖線での583系の臨時列車としての活躍が目につくが、8月 の下旬に行なわれるでの花火競技大会への輸送の為に、特急「スターマイン」をはじめ 快速、そして普通列車に583系が借り出されて運転された。それも1996年から秋田新幹線 工事の為に田沢湖線が運休になるため、この列車での活躍もわずか2年で昔語りとなっ てしまった。有効長の関係でモハネユニットを1ユニット抜いた7連で入線(「津軽」 の奥羽線不通に伴う田沢湖線長期迂回の時も含めて)するのが常であったが、この時は 12連で運転される列車も存在した。

 「いなほ89/92号」(新潟〜酒田)1995年夏臨(8.10〜8.17)

 定期運用を失うにつれて、臨時列車としての583系の使用範囲が広がりつつあるが、 1995年の夏臨ではついに「いなほ」にも583系が進出し、お盆の繁盛期に片方向づつ1 往復が設定された。翌年の冬および春臨では設定されていないが、今後の運転が期待さ れる。

 新幹線代行列車(高崎〜越後湯沢)1995.10.22,25,29

 団体列車ではないが、長野新幹線工事に伴う高崎駅構内ポイント設置工事により、上 越新幹線が1995年10月22、25、29日の3日間高崎〜越後湯沢間で午前中運休となった。 そこで運休区間の在来線を代行列車として「新幹線リレー号」として22、29日は2往復 が、25日は1往復が583系12連で運転された。今後同様の列車が運転されるか定かではな いが、もし運転される場合には583系の活躍を期待したい。

(団体臨時列車他)

 集約臨時列車

 583系は寝台車として使えることもあって、東北地方の修学旅行などを始めとした集約 臨時列車(複数の小口団体を運転区間がある程度まとまる場合は1本の列車としてまと めて運転すること)として上野〜青森間や大阪〜青森間での運転が国鉄時代から続いて いる。

 甲子園臨

 春と夏の甲子園で行なわれる全国高校野球大会の東北地区出場校の応援団輸送列車と してたびたび使用されている。勝敗と日程のくじ引きで決まるのでなかなか設定には苦 労する臨時列車とのことである。

 列車ホテル

 東北三大祭り開催時における宿泊客をさばく為、運用のない583系中間ユニットに485 系の先頭車をつないで列車ホテルとして使用されたこともあった。

 その他、寝台車として使用できるメリットを活かして、多くの団体臨時列車に引き続 き使用されており、ここしばらくは583系の活躍が期待される。



                            文責:佐藤 哲也