581系を使用した最初の列車。当初はグリーン車(旧1等車)がなかった為、モノ クラスの12連(TncTnTnM'nMnTdM'nMnTnM'nMnTnc)で運転された。当時新婚旅 行のメッカであった九州東海岸への列車にグリーン車不連結の問題は大きく、1年 限りで485系にバトンタッチしたが、同じくしてサロが連結されるようになったのは 皮肉なことである。
「月光」(7M/8M 博多〜新大阪)1967.9.30〜1968.9.30
(6009M/6010M(1/2号)博多〜新大阪)1968.10.1〜1972.3.14
(13M/14M(2/1号)博多〜新大阪)1968.10.1〜1972.3.14
(33M/34M(1/2号)西鹿児島〜岡山)1972.3.15〜1973.9.30
(6035M/6036M(2/1号)博多〜岡山)1972.3.15〜1973.9.30
(1005M/1008M(1/2号)西鹿児島〜岡山)1973.10.1〜1975.3.9
(1029M/1030M(2/1号)博多〜岡山)1973.10.1〜1975.3.9
「みどり」と同じく581系を使用した最初の列車である。581/583系が「月光型」と
呼ばれる所以である。翌年に季節列車として「月光1/2号」が増発され、2往復とな
る。新幹線岡山開業により、岡山発着に改められ、うち1往復は西鹿児島発着となる。
1973年10月改正で季節の1往復が定期に格上げされるが、1975年春の新幹線博多開業
により廃止された。
「はと」(7M/8M(2/1号)博多〜新大阪)1968.10.1〜1972.3.14
(6003M/6004M(1/2号)博多〜新大阪)1968.10.1〜1970.2.28
(3M/4M(1/2号)博多〜新大阪)1970.3.1〜1972.3.14
581系誕生から1年後の1968年10月の改正で、それまでの481系から583系に置き換え られて登場。同時に季節ながら1往復増発され2往復となった。編成も3号車がグリー ン車に組み替えられて、TncTnTsM'nMnTdM'nMnTnM'nMnTncの12連で運転される様 になった。1970年3月改正で季節の1往復も定期化されたが新幹線岡山開業により、 運転区間が岡山〜下関間と直流区間のみとなり、再び181/485系に置き換えられてしまっ て583系の運用はなくなった。
「つばめ」(5M/6M 熊本〜名古屋)1968.10.1〜1972.3.14
(23M/24M(2/3号)熊本〜岡山)1972.3.15〜1972.10.1
(25M/26M(3/5号)熊本〜岡山)1972.3.15〜1972.10.1
(29M/22M(5/1号)博多〜岡山)1972.3.15〜1972.10.1
(31M/28M(6/2号)博多〜岡山)1972.3.15〜1972.10.1
(23M/24M(2/4号)熊本〜岡山)1972.10.2〜1973.2.28
(25M/26M(3/6号)熊本〜岡山)1972.10.2〜1973.2.28
(27M/36M(4/1号)博多〜岡山)1972.10.2〜1973.2.28
(31M/22M(7/2号)博多〜岡山)1972.10.2〜1973.2.28
(23M/24M(3/4号)熊本〜岡山)1973.3.1〜1973.9.30
(25M/26M(4/6号)熊本〜岡山)1973.3.1〜1973.9.30
(27M/36M(5/1号)博多〜岡山)1973.3.1〜1973.9.30
(31M/22M(8/2号)博多〜岡山)1973.3.1〜1973.9.30
(1011M/1014M(1/7号)熊本〜岡山)1973.10.1〜1975.3.9
(1013M/1012M(2/8号)熊本〜岡山)1973.10.1〜1975.3.9
(1003M/1004M(3/6号)西鹿児島〜岡山)1973.10.1〜1975.3.9
「はと」と同じくS43年10月の改正で、それまでの481系から583系に置き換えられ て登場。名古屋で「金星」と組んでの運用となった。新幹線岡山開業により、岡山発 着に変更、485系と組んで増発され、583系担当分は5往復4往復であった。改正毎に 増発されたが、485系で増発され、1973年10月改正では1往復が485系となり、8往復 中、3往復と逆転されてしまった。同時に1往復が西鹿児島まで足を延ばしたが、博 多発着の列車はなくなった。新幹線博多開業により、全列車廃止となった。
「明星」(11M/12M(1号)熊本〜新大阪)1968.9.30〜1972.3.14
(15M/16M(2号)熊本〜新大阪)1970.2.28〜1972.3.14
(3M/4M(1/2号)熊本〜新大阪)1972.3.15〜1973.9.30
(5M/6M(2/3号)熊本〜新大阪・京都(6M))1972.3.15〜1973.9.30
(9M/10M(3/1号)博多〜新大阪・京都(9M))1972.3.15〜1973.9.30
(11M/12M(4/4号)熊本〜新大阪)1972.3.15〜1973.9.30
(13M/14M(2/3号)熊本〜新大阪・京都(14M))1973.10.1〜1975.3.9
(21M/22M(3/1号)博多〜新大阪・京都(21M))1973.10.1〜1975.3.9
(15M/16M(4/2号)熊本〜新大阪・京都(16M))1973.10.1〜1975.3.9
(11M/12M(1/4号)熊本〜新大阪)1973.10.1〜1974.4.24
(8011M/8012M(1/4号)熊本〜新大阪)1974.4.25〜1975.3.9
(23M/36M(1/7号)西鹿児島〜新大阪)1975.3.10〜1978.10.1
(27M/28M(3/6号)西鹿児島〜京都)1975.3.10〜1978.10.1
(37M/38M(7/1号)博多〜新大阪)1975.3.10〜1978.10.1
(35M/36M(7/2号)博多〜新大阪)1978.10.2〜1980.9.30
(23M/24M(1/8号)西鹿児島〜新大阪)1978.10.2〜1980.9.30
1968年10月改正で「ひのくに」格上げにより登場した。1970年3月改正で1往復増 発されたが、車両の検修能力の関係で下りは木曜日運休、上りは水曜日運休という変 わりダネだった。同年秋の改正で毎日運転に改められる。新幹線岡山開業により4往 復に増発される。「きりしま」と京都着をトレードしたものの、2段寝台の登場した 1974年春の改正で1往復が季節格下げとなる。新幹線博多開業により、熊本発着を西 鹿児島に改め、岡山開業以来の博多発着の1往復と合わせて3往復となる。この時か ら1980年10月改正まで583系の特徴を生かし、座席利用客の為に1部座席車のまま運 転をおこなったが芳しくなく、列車と共に廃止となった。またこの時から編成もグリー ン車の連結位置が3->5号車に移り、TncM'nMnTnTsTdM'nMnTnM'nMnTncの12連と なった。その後利用客の減少により、1978年、1980年と1往復づつ削減され、1982年 11月改正で最後の1往復も廃止となった。
「金星」
(15M/16M 博多〜名古屋)1968.9.30〜1970.2.28
(17M/18M 博多〜名古屋)1970.3.1〜1972.3.14
(13M/14M 博多〜名古屋)1972.3.15〜1973.9.30
(2021M/2022M 博多〜名古屋)1973.10.1〜1975.3.9
(21M/22M 博多〜名古屋)1975.3.10〜1982.11.12
1968年10月改正で登場、以来ずっと博多〜名古屋間を列車番号を変えつつ走り続け た。多客期には西鹿児島〜名古屋間に客車による臨時列車も設定された。発売当日に 売りきれるという人気列車も博多開業後には新幹線に客を取られて利用率が低下の一 歩をたどり、1982年11月に廃止され、14年の歴史にピリオドを打った。
「きりしま」(9M/10M 西鹿児島〜京都)1970.9.30〜1972.3.14
(7M/8M 西鹿児島〜京都)1972.3.15〜1973.9.30
(7M/6M 西鹿児島〜新大阪・京都(7M))1973.10.1〜1975.3.9
1970年10月の鹿児島本線全線電化改正により、急行「霧島」から名前をいただいて (急行の列車名は「桜島」に)登場。上りは京都着を途中で「明星」に譲って新大阪 着となる。新幹線博多開業により、昼行から夜行にコンバートされた「なは」に譲っ て「きりしま」の列車名は廃止となった。
「しおじ」(1003M/1004M(2/4号)下関〜新大阪)1970.10.1〜1972.3.14
(8013M/8014M(71/72号)下関〜新大阪)1971.10.1〜1972.3.14
(1011M/1014M(1/3号)広島〜新大阪)1972.3.15〜1973.9.30
(3011M/3012M(2/4号)広島〜新大阪)1973.10.1〜1975.3.9
1970年10月改正でそれまでの181系に混じり、間合いを利用して1往復が登場した。 翌年には11両を増備して毎日運転の季節列車として1往復が増発された。岡山開業後 も181系や485系に混じって1往復が間合い利用で残ったが、181系の置き換えを含み 増発は485系で行なわれた。新幹線博多開業により列車廃止となった。
「有明」(1011M/1014M(1/2号)西鹿児島〜門司港)1970.10.1〜1972.3.14
(1013M/1012M(2/1号)西鹿児島〜博多)1970.10.1〜1972.3.14
(1021M/1026M(1/3号)西鹿児島〜門司港)1972.3.15〜1973.9.30
(1023M/1022M(2/1号)西鹿児島〜博多)1972.3.15〜1973.9.30
(1025M/1024M(3/2号)西鹿児島〜博多)1972.3.15〜1973.9.30
(2021M/2026M(1/3号)西鹿児島〜門司港)1973.10.1〜1975.3.9
(2023M/2022M(2/1号)西鹿児島〜博多)1973.10.1〜1975.3.9
(2025M/2024M(3/2号)西鹿児島〜博多)1973.10.1〜1975.3.9
(1001M/1018M(1/8号)西鹿児島〜博多)1975.3.10〜1978.10.1
(1005M/1022M(2/10号)西鹿児島〜門司港)1975.3.10〜1978.10.1
(1007M/1020M(3/9号)西鹿児島〜小倉)1975.3.10〜1978.10.1
(1001M/1018M(1/16号)西鹿児島〜博多)1978.10.2〜1980.9.30
(1005M/1022M(3/20号)西鹿児島〜門司港)1978.10.2〜1980.9.30
(1007M/1020M(5/18号)西鹿児島〜小倉)1978.10.2〜1980.9.30
(1003M/1032M(3/32号)西鹿児島〜小倉)1980.10.1〜1982.11.14
(1009M/1036M(9/36号)西鹿児島〜博多)1980.10.1〜1982.11.14
(1007M/1030M(7/30号)西鹿児島〜博多)1982.11.15〜1984.1.31
1970年10月の鹿児島本線全線電化改正により、気動車特急から置き換えにより登場。 同時に急行「かいもん」格上げで2往復となった。新幹線岡山開業でさらに1往復増 発されて3往復となる。博多開業後は583系昼間間合い列車の中心となるが、485系で 増発されて担当の列車数は変わらず。1980年、1982年と「有明」の本数増加に対して 485系に1往復ずつ置き換えられ、(「にちりん」に転用)1984年2月改正で、夜行 の運用がなくなった為、485系に道を譲って撤退した。
「なは」
(35M/24M 西鹿児島〜新大阪)1975.3.10〜1978.10.1
(33M/34M 西鹿児島〜京都)1978.10.2〜1980.9.30
(23M/24M 西鹿児島〜新大阪)1980.10.1〜1982.11.14
(
27M
/
28M
西鹿児島〜新大阪)1982.11.15〜1984.1.31
1975年春の新幹線博多開業により、それまでの485系昼行列車から、「きりしま」 の後を継いで夜行列車となり、以降「明星」に統合されることなく、弧塁を守って列 車としては今も残る。が、1984年2月改正で、24系25型に列車を譲って583系は廃止 となった。
「彗星」(3003M/3004M(1/3号)宮崎〜新大阪)1975.3.9〜1978.10.1
(3011M/3012M(3/1号)大分〜新大阪)1975.3.9〜1978.10.1
(3001M/3002M(1/6号)宮崎〜新大阪)1978.10.2〜1980.9.30
(3001M/3002M(1/4号)宮崎〜新大阪)1980.10.1〜1984.1.31
「にちりん」(3013M/3044M(3/34号)小倉〜宮崎)1980.10.1〜1984.1.31
(5017M/5034M(7/24号)博多〜宮崎)1980.10.1〜1984.1.31
583系の山陽・九州路における最後に設定された列車がこの列車であり、485系の仲 間のうち2往復を受け持つ様になった。しかし、その活躍も長くなく、4年足らずの 活躍で、夜行の設定がなくなった為「有明」と共に1984年2月改正で再び485系に置 き換えられて消滅した。これにより余剰となった583系は、1982年11月改正で余剰と なった車とあわせて、152両が419/715系近郊型電車に改造、サシ全車とサロ14両が廃 車、サロでわずか1両だけが青森に転属して生き延びた。
(番外編)
「はと51号」(博多〜新大阪)
「つばめ51号」(博多〜岡山)
「月光51号」(博多〜岡山)
「夕月」
これら列車は万博または多客期に設定された臨時列車である。予備車を使用して運 転されたが、昼行夜行(寝台)両方共に使用可能な583系ならではの列車であった。
「ふるさと」(熊本〜岡崎)